政治家はなぜ「お願いするのか」その5

2010/08/04


日本は戦争に負けた。それも無条件降伏という最も悲惨な形で。(無条件降伏ではなかったという説もあるがその議論には入らない)

なぜ戦争をはじめたのか、他に道は無かったのかの考察も別で行う。

 

無条件降伏という形は歴史的にみてもそう多くはない。

無条件降伏とは軍が兵、武器の全てを一切の条件を付けることなく相手の権利下に差し出して降伏することである。

 

その後の運命は全て敵に託される。

国際法で守られているって?

 

そんなもの生きていればこそのものである。

白旗揚げて両手を挙げて出てきても機銃掃射で全員殺されればそれまでだ。

 

撃たれながら、それは国際法に違反する、と叫んでも相手が撃つのをやめるかどうかは相手次第だ。

日本兵が白旗をあげて投降し、それを米軍が保護しているフィルムは何度も日本で放映されている。

 

実際には投降した兵士は殆どその場で撃ち殺されていたと言う話もあり、そういった話は殆ど取り上げられていない。

海戦でも、撃沈された日本の艦船の乗組員を機銃掃射で撃ち殺していたアメリカ軍の話を読んだことがある。(連合艦隊かく戦えり 佐藤和正著)

 

しかしこれをもってアメリカ軍が残酷だということを主張したいわけではない。

戦争とはこういうものだ。むしろアメリカ軍はましな方だと思う。

 

投降して殺されず無事捕虜となれるのは、運の良い者たちだ。

丸腰の自分に銃をこちらに向けているのが敵であれば、それが、違法であれ理不尽であれ、引き金を引かれたら殺されるだけだ。

 

日本が無条件降伏したというのは、日本人全員が捕虜になったようなものだ。

日本全体が巨大な捕虜収容所になったと考えれば良い。

 

敗戦後の日本を考察するとき、この出発点をあいまいにしてはいけない。

終戦ではない。敗戦なのだ。

 

捕虜になば、その中では従来の規則は機能しない。

どの程度国際法その他の法規や条約、規則を遵守してくれるかは相手次第だ。

 

外地の日本兵がどこで捕虜になったかでその運命はものすごい差がある事からもわかる。

 

捕虜と言えば、なかなか興味深い本がある。

山本七平氏の「日本はなぜ敗れるのか」という本である。

 

この本は小松真一氏著の「虜人日記」の紹介と解説という形になっている。

ともにフィリピンの米軍による捕虜生活を体験しており、小松氏の淡々と日常を記した文には真実味がある。

 

様々な階級、過去の経歴、学歴、仕事の異なる日本兵が一挙に肩書きをはずされて捕虜という状況で共同生活をはじめる。

その顛末が、二人の経験が判で押したように類似している点が興味深い。

 

基本的にアメリカ人は被支配者を自治に任せるという傾向が強い。

それは戦後日本の統治形態を見てもわかる。

 

この捕虜収容所の話は日本人をいきなり無秩序の自由空間に閉じ込めたときどういう自治を行うかといった実験にもなっている。

ここで繰り広げられた状況は、全く異なる場所であるにもかかわらず殆ど同じ展開となるのである。

 

まず、最初は捕虜が捕虜を管理するのだから誰が管理しても皆言うことを聞かない。

個人個人が勝ってなことを言い勝手な行動をする。

 

しかし、段々と秩序ができてくる。

その秩序たるやまことに悲惨な光景を展開していく。

 

結論を言えば、暴力団による恐怖政治だ。

リンチと粛清が日常になり、死人さえでるようになる。

 

相撲大会などで優勝するような力のある者は親分が目をつけて炊事係に入れ一般人がひもじい思いをしている時でもたらふく食わせ、配下に収めていく。

ジャングルで生死を迷い米軍と戦って生き残った屈強の兵士が入ってきても、ささいな賄賂で簡単に暴力団に組していく。

 

米軍に告げ口してばれるとリンチをされるので誰もが口をつぐみ、中には恐怖のため発狂する者まででてくる。

やがて米軍のMP(憲兵)に知れることになり、暴力団は処分される。

 

暴力団一掃の後は選挙で指導者が選ばれることになる。

しかし、暴力団がいなくなると、とたんに勝手な行動とる者や、規則を守らない者が出てきて、暴力でないと秩序が保てないことに情けなくなる、という展開だ。

 

この展開は二人が異なる場所で全く同じ経験をしているところがが恐ろしい。

形としては自治だが、どうしようも無くなると武力を背景にしたMP(憲兵)が力で正常化(?)する。

 

そして上からの力が無くなるととたんに皆自由だ、個性だと言って勝手な行動を取り始める。

結局暴力団が牛耳っても、選挙で自主的に選んだという形を取っても、クーデターが起きても、アメリカの意に沿わない者はすぐ処分される。

 

所詮捕虜収容所という塀の中での喜劇でしかない。

しかし、これは敗戦後の日本の姿そのままではないのか。

 

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