2011/08/21
今回の昇級・昇段試合は皆素晴らしいものでしたが、私は個人的な意味で記憶に残るであろう試合があります。
それは、Kumagai3級の昇級審査の5人組手の最終戦です。
相手はSonoda(T)二段、私の倅です。
二人は同じ年齢の大学生同士です。
Sonoda(T)二段は物心ついたころから空手を始め、私は当然のこと拳誠会時代の師範や黒帯にも子供の頃から揉まれてきました。
一方Kumagai3級は大学に入ってから空手を始めましたのでまだまだ初心者の域をやっと抜け出たくらいの段階です。
しかし、センスもあり稽古も熱心なKumagai3級は急激に力を伸ばしてきました。
今回の審査に限っては対戦者が Tasiro初段、Endo初段、 Enomoto初段、 Takagi二段、Sonoda(T)二段という通常のこのクラスの対戦者としてはあり得ないような組み合わせでしたから初戦から全試合苦しい試合運びとなったのは否めませんが。
それでもはラストの第5試合では残る力を振り絞って全力で立ち向かっていきました。
そして死力を尽くして5人組手を完遂させたのです。
気力で右中段回蹴を放つKumagai3級(左) ガードの手が下がったところを上段回蹴を極めるSonoda(T)二段(右)
同い年のこの二人はこれからも長い間切磋琢磨しあいながら成長していくでしょう。
私はこの試合を見ながらいろんな思い出が頭をよぎりました。
宴会の時お話したのですが、参加できなかった会員の方のためにKumagai君をご紹介いたします。
最初にKumagai君のお祖父様の熊谷さんをご紹介したいと思います。
熊谷さんは現在は悠々自適の生活をされていますが、私が学生の頃は千葉県でトップクラスの建設会社の専務さんでした。
その熊谷さんと私は思いもしない事で知り合うことになるのです。
その接点は当時私がピアノを通じて友達になった拓大の学生です。
彼は拓大といういかにも体育会系の学生で取り巻きも応援団とか空手部といった連中でしたが奇跡的なジャズピアノの名手だったのです。
彼は自分のバンドをもっており、ジャズ喫茶などで演奏していました。
本人は私服でしたがドラムやベースをやらされている短髪の下級生はいつもガクランを着ていました。
彼がタバコを口にくわえるといつもドラマーが飛び出してきてライターで火を着けていました。
ピアノの腕は超一流で私は彼がなぜ拓大にいるのか不思議でした。
私も空手やりながらピアノを弾いていたわけですから変人同士すぐ仲良くなったのかもしれません。
彼は時々私の下宿に遊びに来るようになり、二人であやしげな店に出入りしたこともありました。
彼との面白い話は宴会の時お話しましたが公表するには適さない内容も一部含まれているので詳細は省きます。
その彼がアルバイトをしているある高級な会員制クラブの話を聞いたのもその頃です。
その店は一流の音楽家達が毎日生演奏をしていて、料金も高そうで、まず会員制ということもあり学生なんかは覗くことさえ不可能といった感じの店でした。
その店ではジャズは中村八大氏や薗田憲一とデキシーキングス等、超一流のミュージシャンを集め、クラシックやカンツォーネの有名演奏家もしばしば演奏していました。
中村八大氏はジャズピアニストですが当時は「こんにちはあかちゃん」や「坂本九の上を向いて歩こう」等の作曲家としても有名になっていました。
こうした有名人が急用なんかで来られないときトラで演奏していたのがこの拓大生だったのです。
※トラとはエキストラのことで代用演奏者の事、業界用語。
あるとき彼がいきなり私の下宿に飛び込んで来て、「明日俺の代わりにあの店で演奏してくれないか」と言うのです。
つまり,トラのトラというわけです。
「店には事情を話してあるし、腕はオレが保障すると言ってあるのでギャラも良いはずだ」と言うのです。
私はそれまでそういう店とかで演奏したこともないし、突然歌手のウタバン(歌の伴奏)なんかやれと言われても出来るかどうかわからない、と答えると「お前の腕なら絶対大丈夫だ」と持ち上げます。
今考えると腕とかギャラの話は口からでまかせで彼はどうしても行けない理由(多分女)があったのでしょう。
そうして私は生まれて初めてギャラを貰って人前で演奏する事になったのです。
その店はある東京郊外の目立たない場所にありました。
外観はどこかの工場か倉庫のようです。
今なら逆にワイルドで格好良いと思いますが当時は何とも変な感じでした。
しかし駐車場にはズラリと高級外車が並んでいます。
薄暗いラセン階段を上って行くと突然高級そうな扉がありました。
中に入ると目を疑うような豪華な作りで、いきなり別世界に紛れ込んだような錯覚に陥りました。
厚い絨毯は土足で入るのが気になりましたがそのまま入れとの事です。
しかし中でお手伝いしている女性の方は靴をはいていませんでした。
大きなカウンターがあり、奥にはゆったりとしてテーブルソファーが広い店内にとても贅沢に広々と配置してあります。
カウンターにはパイプをくゆらせながらいかにもといった風情の初老の紳士が会釈をしてくれました。
そしてソファーに目を移すとワインを飲みながらこちらにと手招きをしている30歳台後半に見えるスーツ姿の紳士がありました。
彼がこの店のオーナーであり、大手建設会社の専務(実質経営者)の熊谷さんだったのです。