勝ったのだ。
しかし、次の日。
私は学校に行くのが怖かった。
私はあまりにかっこ良すぎる啖呵をきったことをちょっと後悔していた。
やつらがこのまま黙っているはずがない。
九州では、お返しは倍返しが常識だった。
まして、喧嘩の場合は最低でも10倍くらいお返しをするのが礼儀だ。
一番危ないのが登校、下校時に一人になる時だ。
やつらはどこかで待ち伏せており、集団で襲ってくるに違いない。
一旦つかまったら、今度はこちらが辛し明太子になる番だ。
辛し明太子どころか殺されるかもしれない。
私は、日大応援団長だった叔父が喧嘩のとき硫酸を効果的に使った、という話を思い出した。
叔父は当時、腰に硫酸のビンをぶら下げておき、ここというときはそれを小出しにしてピッピッと喧嘩相手に振り掛けたというのである。
そうするとシャツやなんかにアナがあいて、ちょっとでも皮膚にあたったりすると大抵のやつはまいってしまうというのである。
これはいいかもしれない。
しかし、今硫酸なんか家にないし、どこで手に入れるのかもわからない。
とりあえず腹にさらしをまいて、切りだしナイフをかばんに忍ばせて学校に行く事にした。
いつも使っている自転車はやめてバスにした。
なるべく一人にならないほうが安全だからだ。
何とか無事に学校に行く事ができた。
学校にきてみると、教室は昨日の事件で盛り上がっていた。
もっとも盛り上がっているのは、他那架、穂師野を中心に柔道部のハヤシやハタノなど一癖もふたクセもあるような連中ばかりだが。
他那架はやはり腹にさらしをまいて、木刀を用意していたし、穂師野はメリケンを得意げに私に見せた。
大勢集まると少し気が大きくなった。
とはいっても、今度はあちらから仕掛けてくるのは間違いないので、受身の我々は用心深くならざるを得ない。
とにかくしばらく西新町を歩くとき単独行動は絶対しないように4人で話し合った。
我々がいろいろ作戦を練っているとき、当時柔道の初段か2段を持っていたハタノが、私のナイフをしげしげと見て、こう言った。
「うーん、これ使ったらソノダらしゅうナカバイ」
ハタノは現在福岡で弁護士をやっており、今確か福岡弁護士会の会長か副会長のはずだ。
私と同じようにまだ現役で柔道を続けており、彼いわく「戦う弁護士」だそうだ。
彼に言わせると、刃物を使うの男らしくない、これを使ったら私のイメージがダウンするというのだ。
ハタノは当時私の男気を高くかっていてくれたのだ。それを壊すなということだ。
そんなことは分かっている。
しかし、それどころではないというのがその時の心境だ。
大勢の中で話すときは、いかにも余裕があるそぶりで、おもしろおかしく武勇伝をとうとうと語っていた我々だが、4人だけになると、話はとたんにシリアスなものになった。
4人の結論はとにかくしばらくは目立たないようにするということ。
また、西新町は決して単独で歩かないことを誓った。
学校で一番馬力のある穂師野でさえもメリケンなんかを用意していることが余計我々を不安にさせた。
他那架は度胸と言う点では4人の中で群を抜いており、オレは髪型を変えたからやつらには分からない、なんてほざいている。
やつは、当時からおしゃれで、高校生のくせにポマードかなんとかクリームなんかを髪につけて当時めずらしかったドライヤーなんかも持っていて、わけのわからない髪形を作っていた。
私は髪型なんかいっさい関心がなく自然まかせのボサボサ頭だった。
他那架はじっと私の頭を見て、何か思いついたのか、突然、
「よかアイディアば考えた、おれがお前の髪型ば変えてオレンごと変装させてやるバイ」
「ヨカヨカ、ヤメレ」と私。
「加山雄三んごとカッコよか髪型ばオレが作ッチャルケン、任せんやい」
「お前にソゲン技術ばあるとや?」と私。
「当たり前やオレのかっこいい髪型ば見てみんや、ジェンブオレ一人でシタトゼ」
「ソゲン言うならやってみ、へんな形にしたらお前、殺すぞ」
「わかっちょるわかっちょる」
放課後の教室で彼は美容師さながら私の頭を刈りはじめたのだ。
しはらくして奴が「あっ」と叫んだ。
「お前、どげんしたとや、鏡ば見せてみ」
「大したことなか、大したことなか」
「いいけん鏡ば見せんか」
「大したことなか、大したことなか」
「いいけん見せれ、殺すぞ」
鏡を渡しながら逃げ腰になる他那架。
「キサマー」
その場にひれ伏す他那架。
「スマン、やってしもうた、失敗した」
何たる強烈な虎刈り。
なにが加山雄三だ。
こうなれば、坊主にするしかない。
それも2枚や3枚で刈れるような状態ではない。
ええい、「面倒だ剃ってしまえ」、奴の頭をガンと一発殴って私が言った。
卒業間近に控え、皆髪を長髪にしている時期に、こんなわけで私はスキンヘッドになったのだ。
クラス全員、髪がふさふさした卒業写真(3年クラス集合写真)で私だけ不気味な坊主頭である理由は実はこうなのだ。
他那架が言うには、「これでヒゲを生やせば、もう誰かジェンジェンわからんごとナルバイ」
ふざけるな、スキンヘッドでヒゲはやした修猷館の高校生が西新町を歩いていたら、オレはここにいるぞと看板背負って歩いているようなものではないか。
しかし、剃ってしまった後ではどうしようもない。