どっと崩れ落ちる大学生。
そしてそこへ、とどめの顔面へのケリ一発。
ベチャっと音がした。
大学生の口が辛し明太子のようになっていた。
倒れた男を取り囲んで見おろす我々。
それをまた大きく取り囲む大勢の野次馬。
終わった。
西新町の一帯は騒然とした雰囲気に包まれた。
しかし次の瞬間信じられないことが起こった。
気を失ったかと思った男がムクっと起きあがったのだ。
そして、立ち上がって、ゆっくりあたりを見渡すとペッ、と唾を吐いた。
その唾はトマトケチャップみたいだった。
「オマエラー!!・・・・ ちょっと待ッチャランヤ ちょっと待て」
ちょっと待て、とはいったいなんだ。不死身か。
こいつは一方的になぐられて、ダウンしたのだ。
この落ち着きようはいったい何なんだ。
しかも、口から血を吐いているじゃないか。
ははあ、あまりに一方的なのでカッコつけるため休戦のシグナルを出してきたな。
しかし、客観的な情勢とこの言葉はいかにも不釣合いだ。
「まままいった」とか「わわわるかった、ちょっとまってくれ」とかもうちょっと殊勝な言葉は出んのか。
一方的な勝ち戦と思っている我々とヤツの間に一瞬の静寂が襲った。
その静寂はやがて不気味な死の灰になって我々に降り注いできた。
次の一言で我々は一瞬凍りつくことになる。
「・・・・ だれや、オレン顔ば蹴ったトワー・・・・・・・・ こんオレン顔ば蹴ったトワー」
「こんオレン顔ばァー−−!!!」
なんたるド迫力。
ヤツは、4対1の不利の戦いの最中というより殆ど決着のついたはずの一瞬のすきをついて形勢をたてなおすインターバルをとったばかりでなく、1対1のいわゆるタイマン勝負へもっていくきっかけをつかんだのだ。
「キサンか、キサンか、キサンか、えー! ダレヤ!」(※キサンとは貴様のこと)
やつは一人一人我々を指差して叫びはじめた。
「キサンや、オレン顔ば蹴っトワ!!」
本来は隠しようもない敗戦の証である血だらけの顔が、こんな状況では逆に凄みになる。
我々が一瞬返答できないでいる間合いをつかんで、やつは調子に乗った。
「あーん、キサン、怖いトヤ」(東京弁での、「あー、君、怖いのね一人では」といった意味をドスを効かせて言った博多弁)
要するに、やつはタイマンを要求しているのだ。
しかも、次の一戦のための充電時間をかせいでいる。
「ナンやー」
ちょっとタイミングが遅きに失したが私と他那架が応じた。
他那架は体はそんなに大きなほうではないが、その喧嘩口上の切れ味と度胸は誰もが認めるところだ。
ところが、
「マチヤイ、他那架!、ここはソノダにまかせた方がヨカ」
と言ったのは穂師野だ。やつはこういう場合にしきるのが好きなのだ。
「あっコンヤロー番面倒なことオレにフリやがって」、
と心の中で叫ぶ私。
とたんに、
「お前ヤ、オレン顔蹴ったとわ」とにじりよる大学生。
スゲー迫力。
口の周りの赤黒い血のりが最高に凄みを演出する。
やつの顔には、先手を取られて一方的に初戦をやられてしまった悔しさがにじみ出ている。
「ちょっとマチヤイ」 (少し待ってね)と私。
今度はこっちが間をおく番だ。
今度は、4人で一斉にかかるわけにはいかない。
最初は、多人数のなかのカオス状態ではじまったので、誰に何人かかっていっても乱闘のドサクサだったのだが、
このように一旦おちついて一対一で、さあやろう、と言う状態では、4人でかかっては卑怯者になるというのが当時の九州男児の常識。
回りの野次馬は、もう第2回戦のはじまりを期待しはじめている。
しかし、この不死身男とじっくり喧嘩するのは大変だ。
だが、よくみるとヤツは並外れてタフだが、仲間は誰一人喧嘩に参加していない。
我々の勢いに皆、逃げ腰になっている。
これを利用しない手はない。乱闘にもちこめば勝てる。
私は心の底から涌き出る恐怖心と戦いながら逆にヤツとヤツラにどなった。
「お前らミンナコゲンなりたいとや、おー、まだヤルヤ、ミナでカカッテコイヤ」
(「君たち全員こんな辛し明太子みたいになりたいの、えー、まだやるの、皆でタバになってかかってきたら」を博多弁で最高にドスを効かせた言い方)
「オラ、オラ、オラー、」
すかさず他那架が絶妙のタイミングで合いの手を入れる。
こちら4人がヅヅーとヤツラににじりよった。
私は顔面血だらけの男の顔に自分の顔をくっつけんばかりにして、もう一度言った。
「まだヤルヤ」
勝つか負けるか。胸は最高に高鳴った。
微妙な時間の睨み合いの後、男は後ずさりした。
一瞬「ふー、良かった」と胸のなかで思った。
「分かった。ヤメトコ」
男が言った。
そして手を差し出した。握手だ。
その手のゴツイこと。
勝ったのだ。
しかし、次の日