ヒット カウンタ

吉田秀彦 対 グレーシー柔術


先日柔道の吉田選手とホイスグレーシーの試合をテレビで見た。
審判のストップが早かったのではという声もあるが、内容は終始吉田選手が押しており、
総合的に見て、勝ちは間違いないところだろう。

地味な展開ではあったが、柔道の頂点を極めた者と、何でもありというバーリトゥードの世界で常に勝ちつづけたグレーシーの戦いは密度の濃いものであった。
互いに道衣を着ての試合は、着衣の戦いを前提とする空手家にとっても大変参考になる試合であった。

もし、お互いに打撃も許されるルールであったらどういう展開になっていたのだろう、と興味は尽きない。

もうひとつ心に残る試合があった。
それは、K1のミルコ選手とレスリング系の総合格闘家桜庭選手の試合だ。

この戦いは、桜庭選手にとってはなんとも悔しい結果になったが、抜群の実力はあるので再起を期してほしいものだ。
日本人である私は当然桜庭選手の応援をするのであるが、このミルコ選手の戦いぶりは、空手家というか、打撃系の格闘家が組み技系の格闘家と戦うための多くのヒントが存在する。

ミルコ選手はこれまでも、組み技系の藤田選手や高田選手その他の実力者を全て破っており、グレーシー柔術がバーリトゥードで強烈にアピールした組み技系の有利さを木っ端微塵に粉砕してきたのである。

打撃系格闘技、特に空手の魅力は「一撃必殺」という少々物騒な言葉ではあるが、その一瞬における圧倒的な破壊力にある。
近年、空手の近代的なスポーツ化によって、この本来の伝統が少々薄れてきているのを常々さびしい思いで感じていたものであったところ、空手ではないのだが、ミルコ選手という打撃のスペシャリストの中にその息吹を感じて、少々複雑な思いがしているのである。

桜庭選手は、何度もタックルを試み一部は成功させたのだが、致命的な打撃も受けており、最終的にああいう結果になってしまった。
こういう言い方は酷なことではあるが、逢えて言わせていただければ、もし、互いの手にグローブをしていなかったら、結果はもっと一方的になったかもしれない。

鍛えた生身の拳の威力は、それを受けたことがある者だけが知る恐ろしい世界だ。
もちろん、鍛えていない素手の拳は、これまた想像を絶するほど威力のないのも事実である。

武道というものは、もしそれを使えば圧倒的な威力のあるものを自分のものにし、その威力を過大でもなく、過小でもなく認識し、その恐ろしさを自覚するゆえに、よほどの事がないかぎりそれを使わないという生き方を探求するものである。

そういう意味でも、その威力を客観的に知ることのできる、こういった試合は大変興味深いものである。

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