運動不足に悩んでいる人は多い。
多いというより、サラリーマン、OL、主婦、学生、そして子供達まで現在の日本人は総運動不足状態に陥っている。
人間ばかりか、飼われているペットまで運動不足で高血圧の犬まで登場している。
小学生のあいだでも成人病はもはや珍しいことではないらしい。
こうした世の中であれば、当然運動不足を解消するための工夫や行動がはじまる。
テレビでもダイエット等を特集する番組は大はやりだ。
しかし、こうした風潮や流行の中で私は一つの危惧を感ずる。
例えば、最近テレビで類似の番組を良く見るのだが、短期間でダイエットを行いその途中経過や結果を面白可笑しく紹介するといった企画だ。
ターゲットは有名人の場合もあれば一般人の場合もある。
大体運動不足で肥満していて、健康診断なんかで黄色信号が灯っているような人が選ばれる。
殆どが食事制限と運動といったメニューで構成される。
食事の方は今回は外しておこう。
運動の方であるが、大体ウォーキングやランニング、またトレーニングジムにおける各種トレーニングといった組み合わせが多い。
テレビ番組という性質上やむを得ないのであろうが、極めて短期間に劇的な効果を求めるためかなり無理な設定が多い。
劇的な効果を狙うがためにターゲットになっている人達は本当に悲惨な身体状況の人が選ばれる。
一応、形だけの医師の健康診断なんかのシーンはあるが、私の目から見ると多くの疑問点が残るケースが殆どだ。
最後には体重測定のシーンなんかがあって、劇的なダイエット成功の瞬間が映し出され、本人もゲストも涙の感激というフィナーレになっているのだ。
殆どが食事と運動しかもその運動に様々な絵になる工夫が凝らされているのだが、こうした短期間では減量は、カロリー制限でしか効果は得られない。
殆どは運動の成果というよりは極端な低カロリー食で達成されているはずだ。
これは、極めて不健全であるばかりでなく、場合によっては危険でさえある。
私が見た幾つかの例では、明らかに脂肪よりは筋量の減少で体重減少をみているものがあった。
これは、リバンウンド等の悪影響の他、様々な生理的な悪い因子をその時点から発生させていることを意味する。
テレビのショーとしてお笑い番組的にとらえている分にはまだ悪影響は少ないのだが、なまじ科学的な色付けをされたのでは、視聴者の中にはそっくり真似する者が出てくるかもしれない。
私が危険に感ずる最たるものは、殆ど病気に近いような極度の運動不足で起こっている内蔵肥満のターゲットに、いきなりハードな有酸素運動(エアロビクス)をやらせているシーンだ。
場合によっては、ボクシングや空手などの格闘技の道場でいきなりスパーリング等をやらせている。
当然こういった人はわずかな負荷でもダウンしてしまう。
その苦しそうな動作をゲストや視聴者に見せる。
そこでまず笑いが取れるというわけだ。
これは、とんでもないシーンだ。
もし「やらせ」でなければ犯罪に近い行為だといっても言い過ぎではなかろう。
ジョギングに代表される有酸素運度(エアロビクス)は、一見、負荷も軽く、テレビなどではバックに軽快な音楽かなんかが流れていて、女性や健康そうなお年寄が笑顔で行っているシーンが多い。
空手や柔道あるいはウエイトトレーニングなどの見るからにストイックでハードそうな鍛錬とは対照的である。
しかし、ここに落とし穴がある。
有酸素運動はそのイメージと違って決して軽い運動ではないのである。
笑顔でやれるのは彼らが十分にトレーニングを積んだアスリートだからだ。
半病人状態の肥満者にとっては、いきなりこういったトレーニングをすることは極めて危険なことだ。
運動不足の人間は有酸素運動からはじめるべきではない。
実は筋力トレーニングこそが、最初に行うべきトレーニングなのだ。
え!まさか、と思われるであろう。
あの、青筋をたててウンウンうなってバーベル、ダンベルを上げ下げするマッチョな運動が半病人の最初にやる運動だって。
何かの間違いじゃないのか。
間違いではない。
もちろん、最初からバーベル上げるような運動はダメだ。
一番分かりやすい例は、病院でのリハビリ運動だ。
あるいは、身障者の機能回復のための運動を調べてもらいたい。
これらは、究極の最も基本的、初歩的な運動不足解消トレーニングと捉えることができる。
その運動は、決して有酸素運動にはなっていないことがわかる。
まず、ストレッチからはじまり、関節の稼動範囲を広げ、弱った筋力の回復および骨格の強化および神経系統の回復強化を図る。
その殆どはレベルは低いけれど全て無酸素運動だ。
そう、その殆どはイメージとしては最もハードに捉えられがちな、いわゆる筋力トレーニングなのだ。
まず、最低限の筋力が無ければとても有酸素運動なんかには取り掛かれないということを知らねばならない。
極端な運動不足の肥満者は、想像を絶するほど筋量が減っている。
当然、その筋肉に酸素を送るための血管や心臓もそれに比例して弱っている。
こうした状況に有酸素運動で、筋肉、関節、血管、心臓に継続的な負荷を与えつづける事がどういうことを意味するかは素人でも分かるだろう。
そう、これは自殺行為に等しい。
では、現実にはどうすればよいのか。
これは、運動不足の状況によって当然変わるのだが、大体の目安を示してみよう。
例えば、中年のビジネスマンで、ここ1年くらい振り返ると運動らしい運動は一度もしたことがない。
体脂肪率は30%を超え、社内の健康診断では、脂肪肝だとか、コレステロールの注意を受けたというレベル。
そして、やめた方が良いとは言われているが未だ酒も、タバコもやめられない。
血圧は常に高めだ。
こういった人をモデルに考えてみよう。
まず、絶対やってはいけないこと。
明日から一念奮起して毎朝早朝ジョギングを始める。
減量目標を立てていきなりカロリー制限を始める。
良くテレビなんかでやっているこういったパターンは絶対やってはいけない。
まず、最初は何が何でもストレッチと筋力トレーニングから開始する。
それも極めて軽めの。
ストレッチは何も本格的なものでなくて良い。
とにかく、体中の筋肉をあらゆる方向に伸ばす。
全然要領が分からなければ本屋か図書館でストレッチ入門とかそういったタイトルの本を見てみると良い。
大体要領がわかればそれで良い。
厳密にやろうとするとかえって煩わしくなって続かない。
一動作10秒から30秒十分に筋肉、筋を伸ばす。
やってみると気持ちが良い。
十分ストレッチをやったら次は筋力トレーニングだ。
これも、最初は道具を使う必要はない。
まず、子供の頃誰でもやったと思うが腕で「力こぶ」を作る動作がある。
これをやってみる。
思いっきり力をいれて5秒から10秒それを維持する。
これは、アイソメトリック方式という古典的な筋力トレーニングの一種だ。
現在では決してベストなトレーニング方法とは言えないのだが、初心者にとっては十分な効果がある。
これを、腕や足、腹筋などでやってみる。
要するに、体中の筋肉をあちらこちら意図的に力を入れて硬直させるのだ。
慣れてくると、こ硬直を腕とか足とか腹筋というように分けて行うのではなく、一気に全身に力を入れて硬直させることができるようになる。
一気にやっても効果は同じだ。
一気にやれば時間の節約にもなる。
このストレッチとアイソメトリックの組み合わせ、時間にしてもせいぜい10分位の運動を毎日続ける。
これが第一歩だ。
これで物足りなくなってきて、初めて有酸素運動(エアロビクス)をやれる準備が整ったことになるのである。
ある程度の筋力(筋肉の量)が無ければエアロビクスは効果がない。
カロリーを消費するのは筋肉である。
筋肉は例えればエンジンである。
エンジンが弱っているところにいくらガソリン(カロリー)を投入しても一向に消費されないのと同じ理屈だ。
まず、筋肉を鍛える。
これが全てのトレーニングの第一歩になるということがお分かりいただけたであろうか。
ここまで、読んでいただいて、現空研で空手をおやりの方は、おや、と何か気が付いたかもしれない。
そう、現空研の空手の稽古のプログラムがまさにこうした思想で組み立てられているのだ。
基本の稽古はまず、ストレッチから入る。
筋肉、関節の稼動範囲を無理なくしかし徐々に広げていく。
次に三戦の繰り返し。
三戦は、見方を変えれば究極のアイソメトリックである。
息吹とともに無呼吸になり、全身の筋肉を極限まで硬直させ、しかもそれを一定時間継続する。
これは、無酸素運動の筋力トレーニングと見ることができる。
次に号令による基本技の反復練習だ。
当然これは有酸素運動であり、最低でも30分間は休みなしで続く。
全員、汗びっしょりになり、相当なカロリーが燃焼される。
初心者や慣れない人は途中で中断することが許されている。
心拍数が十分に上がっている状態を一定時間キープした後休息に入る。
次は、乱撃、その他の各種技の稽古に入っていく。
これは、筋力トレーニングやエアロビクスも含まれるが、主目的は技の鍛錬つまり神経系統の強化(テクニカルトレーニング)となる。
そして、組手によって、実際の打撃を通して打たれ強さを鍛えるとともに精神面での鍛錬といったメンタルトレーニングで締めくくられるのだ。
この順序は、体に対する負荷の順序でもある。
負荷というのは、単純な筋力での負荷ではなく、生体システムとしての負荷である。
現空研の稽古メニューの根本原理であるこのシステムを時系列の順序にならべるとこうなる。
ストレッチ
筋力トレーニング
有酸素運動
テクニカルトレーニング
メンタルトレーニング
この順序は短いタームでの話であるが、長いタームで考えても主眼となる順序は同じである。
いずれにせ有酸素運動を初っ端に持ってくるのは間違いというより危険行為だということを警告したい。