先日「たそがれ清兵衛」という映画をテレビで放映したものを観た。
封切りされたとき、観てみたいとは思っていたのだが結局観れずじまいだった映画だ。
ラストサムライ同様アカデミー賞の何かの部門の候補になったらしい。
最近サムライものが脚光をあびているようだ。
私はアカデミー賞には関心はないが、この「たそがれ清兵衛」は観て良かったと思った。
山田洋次監督は「ふうてんの寅さん」のイメージが強く、こうした作品の存在を不覚にも知らなかったのだがあらためて人間に関する氏の洞察の深さを思い知らされた。
あらすじを述べると、
幕末、庄内地方の小藩に井口清兵衛(真田広之)という下級武士がいた。
二人の幼い娘と老母の世話と生活のため、勤めが終わると仲間の誘いもことわってすぐに帰宅して、家事と内職に励むことから仲間につけられたあだ名が「たそがれ清兵衛」だった。
話は晩年の清兵衛の娘(岸恵子)が父の思い出話を語るといった構成で進められる。
たそがれ清兵衛は、人付き合いの悪い、融通のきかない貧乏サムライという回りの評価だが、実は小太刀の名手なのだ。
ある日、ある女性(宮沢りえ)を助けたことが原因で居合抜きの達人と果し合いをしなければならないことになる。
そこで清兵衛は、短い木刀でその相手を叩きのめしてしまう。
清兵衛の噂はやがて藩にひろまることになる。
丁度その頃藩は派閥抗争が起こっていた。
清兵衛はその腕をかわれ上位討ちを命ぜられる。
清兵衛は必死に辞退するのだが藩命ということで受けざるを得ない状況に追い込まれ、やむなく承諾することになる。
そして、自宅に立てこもる一刀流の使い手と対峙することになるのである。
この映画のみどころはいくつもあるが、大きく分けると主題とディテールになる。
まず主題は家族思いでまじめな下級武士の人間性のすばらしさを、娘の目を通して素直にうったえている点。
これは「ふうてんの寅さん」でも一貫して山田洋次監督のテーマになっているところであろう。
もう一つは細部へのこだわりである。
例えば清兵衛の収入は50石である。しかももろもろの諸経費を引かれると手取りは30石になるとか、藩主への報告も会社の上司や株主総会での報告を思わせるような具体性に満ちている。しかもユーモア溢れる。
決闘のシーンでは、事前に木刀を振ってみて「いかんなまっとるのー」なんていう独り言は武道をやっている者にとっては臨場感あふれている。
また藩命による決闘では前の晩に刀を研ぐシーンがあるがこれも静かな中に迫力に満ちている。
そして最後の切り合いのシーンは、室内である。
ここで、小太刀を使う意味が暗黙のうちに表現されているのだが、これは武道のプロにも説得力のある展開になっている。
このあたりはいかに山田洋二監督が名監督であっても、こういったディテールまでは把握できないだろう。
おそらく、小太刀あるいは居合などのそれもかなり腕のたつ専門家が関与していると思われる。
まあそうした人選も総合した山田洋二監督の腕ということにはなるのだが。
ひさびさに良い映画を観たという気分にさせられた。
今月は現空研は昇級・昇段審査を行っている。
現空研は昇級のためには組手審査で規定の成績を残さねばならない。
これはある意味では真剣勝負である。
もちろん命を賭けるといったものでないことは当たり前であるが、さまざまな背景を持った人間同士が人生のある瞬間に全力を出して戦うという意味ではまぎれもない真剣勝負である。
事実、毎回全ての試合に心打たれるのは私だけではなく、受審者は勿論のこと受審資格のない見学者も口を揃えて言う感想である。
昨日は組手の審判をしながら一瞬この映画を思い出した。
長い人生の中には、望まなくても戦わなければならない状況に追い込まれる事はある。
こうした事態にどう対処するのか、また普段はどういう心構えであるべきか、本当の人間の尊厳とは何か、親子の愛、男女の愛、男らしさとは何か、あらためていろいろ考えさせられた。