京都時代の空手の先生や先輩は数多くおられるが、その中でも特に印象に残る先生としてはまず、直接の師範である田中先生を除けば塩見先生をおいて他にはない。
先生は現在は全空連剛柔会の重鎮で副理事長でかつ全空連の一級審査員として活躍しておられる。
30年以上も前になるが、当時先生は立命館大学の空手の師範で、私がお世話になった幾つかの道場で指導員のような立場で教えに来られていた。
私が18,9才の頃先生は30歳代前半くらいのお年ではなかったかと思う。
塩見先生の強さに関しては、当時からいろいろな噂があり、鬼のように強い黒帯の先生が塩見先生が白帯の頃にアバラを折られた話など枚挙に暇がない。
何度か組手の相手をおおせつかったが、色白の役者のような雰囲気からは想像もできないパワーで圧倒された。
特に印象に残っているのは、裏拳の使い方である。
至近距離からの太い腕から繰り出される顔面をねらった裏拳はもらえばひとたまりもないと想像させるに十分な威力だった。
先生は強いだけでなく、稽古の具体的な方法も初心者にわかりやすく説明してくれた。
私が今でも覚えているのは、前蹴りや回し蹴りの鍛錬方法だ。
バレー(踊り)の稽古のように、水平のバーで体をささえ、宙に浮かせた足を床に下ろさず連続で何十回も繰り返し蹴りを連続して繰り出すのだ。
やってみるとわかるが、これは蹴りの威力を増すのに大変効果がある。
何より、即効性にすぐれている。効果がすぐわかるのだ。
私は現在でも現空研でときどき、この方法で稽古させることがあるが、これは塩見先生にこのとき教わった方法なのだ。
道場では恐い先生であるが、一歩外へでるとそんな雰囲気は全然なくなる。
私は、田中先生や塩見先生が祇園や先斗町に飲みに行くとき何回かお供をさせられたことがある。
幾つかのバーやクラブ、小料理屋などが行きつけになっており、若いホステスや芸子がいっぱいのこうした場所は、まだ20歳前の若造にとっては龍宮城のような感じだった。
初めてオカマバーに連れて行かれた時はショックだった。
私と同じくらい年の美少女がみな男だと知ったときは頭がクラクラした。
今みたいにオープンになっていなかった時代なので私は脳みそがグチャグチャになりそうだった。
普段いばっているえらい先生でもこうした場所だととたんにヘロヘロしてそこいらのスケべーじじいと変わらなくなる人も多かったけど、田中先生や塩見先生は全く乱れることが無かった。
もちろん、愉快に楽しんでおられるのだが、少なくとも私は先生が乱れた姿を見たことがない。
こういう席で、四角四面にしているのが一番良いなどと主張するつもりはもうとうない。
遊ぶときは遊ぶのがよろしい。
豪快に遊んでなおかつ人間的に魅力のある人もいる。
まじめなんだけどつまらない人もいる。
塩見先生は豪快だけど、すごく真面目だった。
しかし、塩見先生の記憶がこれほど鮮明なのは、京都の思い出だけが原因ではない。
私は、京都を離れ、東京の大学に行くことになったのだが、数年後に何と東京で偶然再会したのだ。
その再開した場所が劇的だった。
何と極真会館が開いた全日本オープントーナメントその第2回(だったと思う)大会の会場でお会いしたのだ。
田中先生とその息子さんそれに塩見先生の3人だった。
私は、中学校の同級生で当時中央大学でボクシングをやっていた友人といっしょだった。
我々は同じ場所に席をとり、極真の試合を観戦したのだった。
当時は、まだ今ほど極真会館も有名ではなかったが、我々空手をやっている者は大山倍達氏を知らないものはいなかった。
我々より年上の先輩方はどちらかと言えば否定的な見方が多かった。
私は、このフルコンタクトという考えには当時から大変興味があったのでかなり好意的に見ていた。
初めてこの大会を見たときの第一印象は「たいしたことないなー」というものだった。
田中先生からは「おい園田今から飛び入りして皆のばしてしまえ」なんて冗談も出るほどだった。
我々剛柔流の試合しか知らない者から見て、審判のあり方も違和感があった。
塩見先生も、「あれは一本だ」とか「あれは旗が逆じゃないのか」とかいろいろ疑問点を吐露しておられた。
しかし、回が進むにつれ、我々はだんだん口数が減っていった。
強い者がボチボチ登場しはじめたからだ。
要するに、初期のオープントーナメントは本当にありとあらゆる流派のしかも玉石混交状態で選手が入り乱れており、白帯なんかで出場している選手もいたのである。
私はこの後もしばらくこのオープントーナメントには足を運んだので、ちょっと記憶が前後しているかもしれないが、印象に残った選手の筆頭は山崎照朝氏だ。
これは強いと思った。
次に印象に残っている選手は西田選手だ。
彼は、初期はまだ黒帯ではなかったと思う。
とても体の線が細い印象があったが動きがきびきびしていて気持ちが良かった。
しかし、回を重ねるごとに体が筋肉質になっていき、空手が重厚になっていった。
全盛期の彼はある種の風格を感じさせるものであり、私が考える空手の理想像に近いものがあった。
極真の印象に残る選手は他にも大勢いるので、また機会があれば感想を述べてみよう。
私は、この初めてみるフルコンタクトの試合に対していろいろ先生にお聞きしてみた。
お二人の先生は、多くを語ることは無かった。
強い選手に対しての一定の評価は明確になされておられたが、全体としは認めているようでもあり、そうでないようでもあった。
それは、たぶん私も感じていたことと同じような感想だったのかもしれない。
しかし私は、まだまだ未完成でけちをつけようと思えばいくらでもけちをつけられるが、今までのタブーを正面から破り、しかもそれをオープンにして全国から挑戦者を募るという勇気とその実行力、そして荒削りではあるが限りない可能性を感じさせるそのエネルギーには脱帽せざるをえなかった。
いずれにせよ、この極真の大会を見たことが私のその後の空手を大きく変化させたことは間違いがない。
そして、そのとき私の知る最強の剛柔流の使い手の一人塩見先生と同席していた事は大きな意味があった。
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