神前に礼
日本の武道はその稽古場には必ずといって良いほど神棚が飾ってある。
そして、稽古の後には正座をし黙想の後、神前への礼という慣行がある。
我々現空研もこの伝統は守っている。
今回はこの神前の意味について考えて見よう。
これを語るにさいし、私には貴重な思い出がある。
昔、京都の剛柔流の道場で稽古をしていた頃、外人(アメリカ人)の入門者がいた。
そのアメリカ人の留学生と親しくなり、私は浪人生であったので、私が彼に空手を教える事と彼が私に英語を教えることでバーター取引し、約一年間共同生活を送ったことがある。
彼は力が大変強く腕相撲では負ける事が多かったが空手はもちろんお話にならない。
当時は道場の上下関係、入門の先輩、後輩の序列はきっちりしていた。
彼の方が年上であったが、彼は私のことを「ソノダさん」とよび、私は彼のことを「ダン」(本名ダニエル)と呼び捨てにしていた。
ダンは思想的には大変なリベラリストであり、彼の友達はいわゆる芸術系のちょっとヘンな風体の者が多かった。
当時、比叡山の近くに芸術村という外人の留学生がたくさんたむろしている一帯があった。
私はそれがどんな組織で誰が管理しているのかそんなものはまったく知らなかったけど、ときどき遊びに行った。
私が行くと彼らは私の空手が見たくて集まってきて私は大変な人気者だった。
外人は真面目なものもいたがマリファナばかり吸っている者もいた。
ダンはアメリカの多分ボストン大学の留学生であったが、奨学金を年間1万ドル以上もらっていたのではないかと思う。
当時は1ドルがたしか250円くらいだったから大変なものだ。
なんと彼はその奨学金で自動車を買った。
その車はマツダボンゴで、私は良くその車を借りて乗り回したが、当時5000円の下宿代もとどこおりがちだった貧乏学生の私からはアメリカ人の学生生活は天国のように見えた。
彼は、福岡の私の両親の家に来たこともある。
夏休みで福岡に来たとき、ちょうど終戦記念日で、家族でテレビを見ていた。
その時ニュースで映し出された終戦記念日の式典の意味を私にたずね、それがわかるや、パッと直立不動になり、父に敬礼したのにはびっくりしたと同時にアメリカ人をみなおした。
最後に私が東京理科大学に合格したときは、私の荷物を全てボンゴに積んで東京まで私と一緒に運んでくれた。
そのとき、たしか同志社大学の学生(日本人)も一緒だったと思うけど彼が誰でなぜいっしょだったのか覚えていない。
徹夜のドライブで疲れきって静岡の海岸で寝たときの3人の写真が残っている。
とにかく良いやつだった。
そのダンから稽古の後の黙想と神前の礼の意味を聞かれたことがある。
私は、
黙想は祈りである。
神前とはゴッドである。
というような意味をつたない英語で説明したのだと思う。
彼は、ゴッドという言葉にえらくこだわってきた。
空手は宗教なのかとか、そのゴッドはブッダなのかテンノウヒロヒト(天皇陛下)なのかとか。
私は自分が武道というものを良く理解していなかったことと英語がよくわからないことの二つでずいぶんとんちんかんな事をしゃべったと思う。
彼は、わけの分からない宗教の偶像に対して宣誓はできない、という意味のことを言っていたように思う。
私は彼の宗教も聞いたが、プロテスタントだというところまでは分かったが、その後長々と説明されたことはほとんど理解できなかった。
その彼の友達は当時のヒッピーのような風体をしているものが多かった。
私はダンにヒッピーの考えに同調できるか、と聞いたら彼はイエスと答えた。
私はヒッピーの考えというのはコミュニズム(共産主義)のようなものか、と問うたら、いきなり私の胸倉をつかんで、えらい剣幕で怒り出した。
彼が言うには全く正反対のものである。こんどそんなことを言ったら私でも容赦しないと言うのである。
容赦しないたって、そんなこと俺に言える実力かよって思ったけど、いつもの陽気な顔がかなりまじになっている。
当時、京大の全共闘の連中なんかみなヒッピーのような格好をしていたから、ヒッピーとコミュニズムはそんな犬猿の仲ではないと思っていたのだがアメリカ人のヒッピーというのは共産主義が大嫌いなのだということはそのとき初めて知った。
似ているのはファッションだけだった。
私は自分の下宿の部屋に日の丸を常時掲げていたけど、アメリカ人のヒッピーたちはそれには特に反応は無かった。
考えてみれば、私の家は昔から仏教の浄土真宗である。
だからお葬式とか仏事は全て浄土真宗式だ。
しかし、結婚式などは親戚もほとんど神前で行っている。
でも母方の祖母はたしかカトリックの信者だったはずだ。
私も子供のころはクリスマスにはクリスマスケーキを食べてたし、サンタクロースからおもちゃをもらったこともある。
でも節分には豆まきしてたしたな。
平均的な日本人の宗教観とはこんなものだろう。
でも、これは日本人に宗教心がないということではない。
お正月は日本人であれば皆共通の宗教的なはれがましい気持ちをもって新年を迎えるし、夏の盆休みに田舎へ帰れば、お墓まいりや神社のお祭りなんか顔を出したくなる。
昔なじみの寺の坊さんなんかと一杯やってみたくなったり(これは宗教は関係ないか)、自分の子供の753なんか殆どの日本人は神社に行く。
現在我が家のお向かいはお寺さんであるが、そこの娘さんが幼稚園児のころお祭りでは神社のお神輿をかついでいた。
日本人は家を建てれば地鎮祭を行うし、会社でもビルを建てたり、工場を新設した場合は必ずお払いというか神式の行事を行う。
大型コンピュータを導入したり、光ファイバーを施設したときですら必ず場違いとも思える神主さんの登場場面がある。
仏教にしろ神道にしろいろいろ宗派があっても、日本人であれば皆で安全祈願したり、無病息災を願う行為にけちをつけるものはあまりいない。
宗教が人々の幸せと社会の秩序と安定を目指すものであるとするならば、このような間口の広い思想傾向はまさにその目的に合致する。
私はこうした日本人の宗教観は大変すばらしいものだと思うし、これからますます進むグローバル化を人間の精神も含めて遂行していくのに世界で最も適した宗教観ではないかとも思う。
しかし、一方こうした宗教観のもとで伝統的に行われてきた武道における「神前」の意味は、日本人には空気や水のように自然であっても、外国の人々には奇異に映るようだ。
また、こうした状況を正確に外人に伝えるのは簡単ではない。
伝えるためには自分が理解していなければならず、理解するには一旦自分および自分を取り巻く日本的な宗教観というものを外側から客観的に眺める思考力を要求されるからだ。
例えば、巷で言われる田舎の良さなんてものは、都会人の発想であり、空気がきれいやら、人々のふれあいがどうたらなんてことは生粋の田舎人は全く自覚していない。
都会の人間がそう言うのをテレビやなんかで知って、ふーんそういうもんか、というようなところが実態である。
宗教もそうしたもので、あなたは仏教徒なのになぜ神道の神前で誓いをたてるのですか、なんて外人に聞かれてはじめて、そういう問題を自覚することが多い。
少なくとも私はそうであった。
私は、道場で行う神前の礼に関する神は何かと聞かれた場合次のように答えることにしている。
我々の「神前」における神とは日本の神である。
日本の神とは西洋的な発想の唯一絶対神ではないが、長い日本の歴史のなかで殆どの日本人のコンセンサスとして共通にいだいてきた神々の象徴である。
象徴の源はおそらくは古事記であり日本書紀であり、そして各地にある民話、言い伝えなどである。
その言い伝えは系譜をたどれば我々日本人の全ての祖先にあたるものである。
我々の父母を敬い先祖を大切にする思いの延長として日本の神の存在がある。
神前の礼とはこうした先祖に対する敬いが根底にある。
その祖先は必ずしも考古学的なものとは一致しないかもしれないが、神話とは本来そういうものであり、それを尊重するという伝統が日本の武道界一般にあり、もちろん我々もそうした伝統を尊重する立場にある。
したがって、神前の礼を何らかの信念でできないあるいは拒否する者は、現空研の会員にはなりえない。
この原則は日本人なら当然のこと日本人ならずとも適用する。
我々がもし他国の武道を教わりに行き、その国では伝統として行われている我々から見れば宗教的に見える儀式や作法にしたがわねばならないという慣習があれば、我々もそれにしたがうであろう。
逆に、我々の国で我々の武道を教わりたいのであれば、最低限の礼儀としてでも我々の流儀は守ってもらう。
一方、礼というのは武道におけるルールの根底をなすものだ。
本来、殺人技の集大成である空手が空手道という武道でありえるのは、礼という本質的なルールが存在するからだ。
神のもと、あかき心で相対した後は互いに礼を交わすことで正々堂々と戦うことと、相手も尊重することを宣誓する、これが礼なのだ。
そして戦い(あるいは稽古)が終わればお互いに礼を行って分かれる。ここに武道のすばらしさがある。
もし空手に礼というルールがなければ、空手の試合は殺伐とした素手による殺人技術の品評会になりさがるであろう。
礼という偉大な指針と大原則のもと、空手は偉大な武道としての空手道に昇華されているのである。
今回の話が今から空手を始めよう、現空研に入会してみようと考えておられる方への指針になれば幸いである。
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