いよいよ西暦2000年を迎える(た)わけだが、2000年といったきりのいい数字というわけで特別の意味があるわけではない。
西暦は、本来西洋の暦であって我々日本人はたまたま、インターナショナルな標準として普及していて便利がいいから使っているだけの話でそれ以上のものでも以下のものでもない。
ではあるが、やはり正月はこれからの一年の出発点であるわけだから、ここでこの一年の目標を定めて心あらたに気合を入れることは大いに意味がある。
現代空手道研究会も多くの人の参加やコンタクトがあり、ますますの発展を確信している。
私の武道に対する姿勢に同意あるいは賛意をいただいている方々が思いのほか多いことをうれしく思う。
しかし、昨今の新聞をにぎわす事件や学校、会社其の他の組織で見られる人間関係の崩壊状況には看過できないものを感ずるのは私だけではあるまい。
世界的規模で見ても、インターネットの恐ろしい勢いでの普及など、コミニュケーション手段自体の劇的な変化で、従来の価値観や常識、規範などが大きな試練にさらされていることは事実であり、様々な問題も噴出している。
しかし、日本にしか見られないいびつな現象も少なくないのも事実である。
こころある人と話をすると必ず語られることでもある。
昔から言われる「最近の若い者は」といったレベルとは違う文化の崩壊の助走のようなものを感ずるのは私だけではあるまい。
コンピュータに代表されるバーチャルといわれる現実とは乖離した現実そっくりの仮想空間、生まれたときからその環境にどっぷりつかったこれからの子供たちにどのような影響をあたえていくのかは、まだ誰も分からない。
ある人からメールをいただいた。
解剖学の養老孟司氏いわく、
「志があり、自分の言葉もあり、自分の価値尺度を持ち、
これは将来活躍する人材である」と思う若者には
共通項が3つある。
1.親が自営業
2.兄弟(家族)が多い
3.お稽古事、伝統の武道・芸能を習っている
というのが産経新聞の記事に載っていました。
とのことである。
養老孟司氏はテレビでなんどか拝見し、その著書のいくつかを拝読させていただいたが、ものの本質を見ぬく力に秀でた才人で、その言動が大いに気になる人物の一人である。
氏か言っておられることは、今私が危惧していることを逆の方向から示唆されているのだと思う。
叱る親がいて、がまんせざるを得ない状況を作る兄弟達がいて、へりくつの通用しない修練の場である伝統の武道芸能で鍛えられる。
こういう環境が現在きわめて少なくなってきている。
ふぬけのような日本人が増えてきた原因は、戦争に負けてからの文化の立てなおしの過程の誤りと、上に述べたようなコミニケーション手段の人類史上最も劇的な変化とが重ね合わさったことにある。
われわれは今何をなすべきか。
「できるところから始めよう」
というのは、この状況では良い方法ではない。
現状は巨大迷路のまっただ中である。
微視的に「できるところから始めよう」では、おそらく脱出することはできまい。
まず、大所高所にたった場所から現状を鳥瞰しなければならない。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。
武道の中には先人の武道の達人達の知恵がつまっている。
まず理屈抜きでその中に身をおいてみる。
頭で考えるのではなく体が反応するようになってくると、いろんなことが余裕を持って見ることができる、
考えることもできるようになってくる。
武道を通じて森羅万象を見る目が鍛えられる。
格物致知というのはこういうことも指しているのではないか。
今年も稽古だ。