政治家はなぜ「お願いするのか」その7

2010/08/11


しかし、私が子供の頃日の丸掲げた愛国少年だったかと言えば決してそんな事はない。

それは私が物心ついた時代が圧倒的なアメリカ文化がなだれ込んで来た、価値観のひっくり返る激流の時代であったということと、生家に大量の戦前文化の遺産があった事による心理的な相克で、ある種分裂した精神構造と妙な客観主義ができあがっていたのだと思う。

 

スピルバーグ監督の「太陽の帝国」という映画がある。

太陽の帝国とはもちろん日本のことである。

 

日支事変のさなか上海に住んでいたイギリス人の少年の話である。

何のイデオロギーの色眼鏡もない少年にとって日本軍はかっこ良い存在なのだ。

 

特に零戦に強い憧れを持っている。

少年は日本軍の捕虜になるが若い日本兵とのふれあいもあり私にはこの少年の気持ちが良くわかる。

 

というより、私の子供の頃の気持ちとかぶるところがあるのだ。

私と少年は立場は全く逆であるが。

 

子供は特に男の子は乗り物や武器が大好きである。

それはいつの時代でもそして民族や国を問わない。

 

昔は野山を走り回って戦争ごっこをやったが、現在ではコンピュータゲームに変わっただけだ。

戦闘機や機関銃を敵味方関係なくかっこ良く思うのだ。

 

このイギリス人の少年も敵である日本の零戦が大好きだった。

私も、目の前で見る進駐軍の戦車をかっこよく思った。

 

今でも残っている私の幼稚園の頃の絵には飛行機がいっぱい描いてある。

一番多いのはドイツの急降下爆撃機ユンカースと戦闘機のメッサーシュミットだ。

 

翼にはちゃんとハーケンクロイツが描かれている。

戦前の戦争の絵本などでドイツのマークだということは幼稚園の頃から知っていた。

 

次にお気に入りなのはアメリカのP51ムスタングだ。

これは水冷式のエンジンで先がとがっており、ロケットのようなイメージで大好きだった。

 

もちろん翼にはアメリカ軍のマークを描く。

正直言うと日本の零戦はあまりかっこ良いとは思っていなかった。

 

空冷式の星型エンジンの頭でっかちな感じがどうも気に食わなかった。

だから、零戦の絵は少ない。

 

そういう意味で、決して純粋な愛国少年ではなかったのだ。

この兵器に関する無国籍な感覚は中学生くらいまではあったと思う。

 

中学3年生か高校1年生の時作ったエンジン付き模型飛行機の翼はUSAF(アメリカ空軍)と描いていたくらいだから。

一方、幼い頃妹がアメリカの兵隊にちょっとしたカラカイで鼻をつままれ大声で泣いた時、殺意にも似た復讐心が全身を走ったのも事実だ。

 

つい先日(8月6日)たまたま知り合いの家でテレビを見ていたところ黒柳徹子さんの「徹子の部屋」が始まった。

出演者はアナウンサーの山本文郎さんだ。

 

いつも明るく穏やかな山本さんの終戦時の話だったのだがすさまじい内容で思わず涙が出た。

山本さんの父上は軍医で召集されて広島の陸軍病院に赴任した。

 

そして6日後に原爆に被爆したのだ。

小学校5年生の山本さんが疎開先から一番に駆けつけ父の最後を看取ったという。

 

私が衝撃を受けたのは、お父さんが亡くなる直前に息子さんから日本の敗戦を聞かされた時の言葉だ。

病院が騒がしく、ただならぬ気配に父は息子に聞く。

 

父「何かあったのか」

山本少年「負けちゃったよ。日本が負けちゃったよ」

 

まだ5年生の少年はその重さもよく理解できず、思わず言ってしまう。

父は悔しそうに「そうか・・・犬死だな」

 

自分の被爆が日本の勝利につながる犠牲ではなく、犬死だと思い、思わず口にだす。

少年は「犬死」の意味がわからず後で辞書で調べて「犬死」の意味を知り、敗戦を言うんじゃなかったと後悔するのだ。

 

山本さんは、ご本人もおっしゃったように右でも左でもなく、父上も招集で軍医になった良識のあるお医者さんである。

しかし、原爆で殺された時の気持ちは「犬死」だったのだ。

 

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