現空研は、限られた肉体的エリートのためのものではありません。
本質的に弱い人間つまり普通の人が普通の生活の範囲で得られる格闘技術を身につけるための空手の稽古を行う集団です。
目標は最強です。
あなたが今の年齢、今の体力で立ち向かえる相手はどの程度が想定されるでしょうか。
たとえばあなたが空手の技を習得していれば同じ年齢、同じ体力の格闘技未経験の相手なら間違いなくそれを撃破することができます。
しかし、その相手もボクシングやサンボなどの技を習得していればどうでしょうか。こうなるとなかなか難しいものになってきます。
実際空手が強いと言うためには、同じ年齢、同じ体力、同じ時間だけ稽古した人間が戦ったとき空手を稽古した人間が一番強いという結果がなくてはなりません。
実際にそれを検証するのはなかなかむずかしいし、仮に個々の例があってもそれを全体の評価とするわけにもいきません。
ただ、それを目標としてがんばる姿勢は持てます。
ここで誤解のないようにしたいのですが、我々は他の武道を劣ったものと見ているわけではありません。
また空手の流派の中で最強だと主張しているのでもありません。
柔道には柔道のボクシングにはボクシングのレスリングにレスリングの伝統と技があり、それらは大変優れたものです。それぞれがそのルールで戦えばおそらく最強の技術でしょう。
空手に関しても、それぞれの流派が創意工夫をこらして血のにじむような努力をしています。
それぞれの武道、他流派の空手道の創意工夫には敬意を表し、学ぶべき点は学び積極的に交流もしたいと思い、現実にもしています。
また、どんな武道であっても、それぞれの武道の精神をまっとうした達人が理不尽な暴力をふるうわけはありません。
そもそも、防衛とは有り得ないことやあってはならないことが起きたときを想定して成り立つ考えです。いきなり襲い掛かる暴漢が、何らかの武道の心得がある可能性はないわけではないのです。よって他の武道というものにもそれなりの理解と研究心は持つべきです。
我々はルール無しのしかも理不尽な暴力から素手で身を守るといった状況を想定しています。
起きてはならないことが起きた場合に、幅広く対処するための武道として空手を学ぶのです。
ルールのある競技会で勝つためではなく、護身のための武道を目指すのです。
ですから、我々の言う最強とは、何々大会で優勝するという意味の最強ではありません。
国体で優勝するとか学校対抗戦で勝つということは、高校野球で出身地の学校を応援するというのと同じような価値観で、それはそれで意義のあることですが、われわれはこういったスポーツとしての競技とはちょっと違う観点で努力したいと思っています。
同じ年齢同じ体力の人間が限られた時間(通常の社会人が費やせる時間)訓練を行っ得られる最も効率の良い護身技術の獲得、あるいは目標という意味で最強という言葉を使い、それを目指したいと思うのです。
まとめ