突然のメールで申し訳ありません。
私は21歳の高知県の大学生で○○と申します。
いつも興味深く拝見させていただいております。
高校の時に伝統派空手を始め、それ以後キックボクシングや柔道を経験しました(空手初段、柔道初段です)。
現在はボクシングを始めて4ヶ月目になります。
現代空手道研究会のホームページにわかりやすく書かれている理念、技術、随想は非常に感銘を受けております。
現代空手道研究会がベースを伝統派空手とし、進化してきた様子からも自分の教科書と成り得る点が多々あると勝手に判断し、参考にすると同時に勉強させていただいております。
いずれ上京することとなると思いますのでその時は現代空手道研究会さんのお世話になりたいと考えております。
さて、今回メールさせていただいた理由は他でもなく、知恵をお借りしたいことであります。
私には格闘技をする中(運動全般といっても過言ではありませんが)で、今までずっと足を引っ張ってきた悪癖があります。
それは「動きが『かたい』」というところです。
おそらくこの一言で理解いただけたと思うのですが、私の身体能力は平均以上であることは客観的にも認められるところであり、数値にも出ております。
柔軟性も同様に特筆できるほどあるというわけではありませんが、格闘技者の平均程度はあると言えます。
それにも関わらず、「かたい」のです。
特に攻撃時に現れやすいようです。
おかげで伝統派時代ではただでさえ運動の邪魔になるこの悪癖が最悪に働き(伝統派ではスピードが勝負の9割を占める世界ですから)、始めたころは散々なものでした。
しかし、当時の先生の御指導や、仲間の支えがあって3年で引退するころにはだいぶ「まし」にはなっておりました。
だけれども所詮は「まし」程度です。
もっと上のレベルに行くためにはこの悪癖は百害あって一利も無いもので、私の最大の悩みであり続けております。
現在取り組んでいるボクシングにおいてもサンドバッグをたたく時ですら「リキんで」しまっているようにトレーナーからは見えるそうです(本人にその自覚はなく、常に無駄な力を無くそうと意識しながら叩いているにも関わらず、です)。
スパーリングでも同じだそうです。
今までも「興奮しすぎ」だとか「緊張しすぎ」とかいろいろ指摘されましたが、空手を始めた頃は「確かにそうだ。」と本人も納得しておりましたが、現在ではそれらは当てはまらないものとしか本人は感じれないのです(多少はあると思いますがそれが全ての原因であるとは現在の自分は思えません)。
きっとこういった類の悩みをもつ人間をたくさん見てこられたことと思います。
そしてその打開策をきっとお持ちになられているだろうと推測し、藁にもすがる思いで相談のメールを打った次第であります。
長々と駄文を連ねてしまい、わかりにくい内容であろうかと恐縮であります。
お忙しい中たいへん申し訳ないと思いますが、是非知恵をお貸し下さい。
お願いします。
この質問者の方の言わんとしていることは良く分かります。
私だけでなく長い格闘技経験があって、指導やコーチを務めた人なら必ず思い当たる経験の一つや二つはあります。
動きが「かたい」という現象は、指導者によって様々に表現されます。
力んでいる
無駄な力がはいっている
興奮している
緊張している
あせっている
こだわっている
そしてそれに対するアドバイスは
力を抜け
緊張するな
楽な気持ちでいけ
落ち着け
冷静になれ
リラックスせよ
脱力せよ
といったところが代表的なものです。
そしてそれに対する率直な感想は
力抜いているんですが
特に緊張はしていません
冷静ですよ
リラックスしているんですが
という感じでしょうか。
運動におけるある現象を言葉で表現することの難しさがここにあります。
「力んでいる」と指導者が表現しているのは、何らかの問題があるのだけどそれを指導者が力んでいるという表現方法をとったということです。
その言葉をそのまま受け取って反論しても意味がありません。
「力んでないのですが」という応えは、
「私の主観では力んでいるつもりはありません」ということでこういったやりとりは不毛です。
言葉はあくまで表現の一手段にしかすぎません。
言葉の背後にある実体を理解しなければ意味がありません。
しかし、指導者は私も含めて、現象を的確な言葉で表現できないことが多いのです。
また受け取る方の受信能力も完璧はありえません。
こう考えると、言葉のやり取りで本質を伝えることは絶望的になってしまいます。
そうはいっても全てのコミュニケーションの第一歩は言葉からですから、あきらめてしまったのでは何もできなくなってしまいます。
話を「かたさ」に絞って考えてみましょう。
この「かたい」という現象は、なかなか奥の深い問題を含んでいます。
ここでいう「かたい」ということがいわゆる柔軟性の問題ではないことは質問者の方も指摘しているとおりです。
空手ではないのですが、私がピアノを習っていたころ繰り返し先生から注意を受けた点を思い出します。
「指の力を抜け、鍵盤を力でたたくのではなく、指の重さでストーンと鍵盤に落とせ」という言葉です。
そして、具体的に指を一本一本高く上げて、その位置から脱力してストーンと鍵盤に落とすという練習を繰り返し繰り返しやらされました。
一年間くらいはこればっかりだったような記憶があります。
この感覚はクラシックピアノをある程度稽古した方なら理解できるでしょう。
どんな速いフレーズでも力んではスムーズに弾けません。
しかし、この表現は物理学的、生理学的には正しい表現ではありません。
指を動かしているのは筋肉ですから、力を完全に抜いたらまったく動かなくなります。
「指を動かすための最も合理的な力は入れるけど、その動きを阻害するような筋力はすべて脱力せよ」というのが正しい(?)表現です。
しかし、ピアノを弾いている本人の自覚はこんなくそ面倒な表現とは恐らくかけ離れています。
「力を入れずに弾いている」というのが一般的なピアニストの感覚でしょうか。
一言で言えば「力まない」という言葉で片付けられてしまいますが、実は「力まない」ということには様々なレベルがあります。
何も分からない初心者のガチガチな動きから、上級者の高度な技の中での「かたさ」まで。
質問者の方は既に空手だけではなく柔道でも黒帯を取られているのですから、いわゆる初心者が力むといったレベルではなく、より高度なレベルでの「かたさ」の悩みだと思います。
「かたさ」をとるということは、最終的には無駄な筋肉に力を入れない事なのですが、これは言葉で理解しても実際に出来るということにはすぐには結びつきません。
やはり体に覚えさせるという過程が必要だと思います。
一つの提案として、単純な技をへとへとになるまで連続して稽古するという方法があります。
中段の前蹴りであれば、足を上げた状態から蹴り、素早く引いて足を下ろさずまた蹴る、これを何十回、何百回と連続して繰り返します。
当然へとへとになりますが、それでも続けます。
こうした稽古を行うと、前蹴りという動作に関して少しでも無駄な力みがあれば、てきめんに疲労こんぱいしますから結果として効率的な筋肉の使い方にならざるを得ないということになります。
また、組手であれば普段から連続で多くの人と対戦するというのも良い方法です。
長時間連続の組手を行うことによって効率的な筋肉の使い方をなかば強制的に体に覚えさせるのです。
10人組手や20人組手を行うあるいは行える能力を有するということはこういった観点からも意義のあることだと思っています。
ボクシングに関しては私は素人ですが、トレーニングの原理はそんなに違わないと思いますので、こういった点を少し考慮してプログラムを組み立ててみてはいかがでしょうか。
トップページへ