先日、久々に修猷館の同窓会があった。
幹事は京都大学の空手部で活躍していたDoで、同じく東京大学の空手部が異常に強かった時代医学部の空手部で活躍していたKaも出席。
そこに警察庁の警視監Iが加わり、武道談義で盛り上がった。
左:元京大空手部Do氏 中央:元東大空手部Ka氏 右:私
しかし今日の話題は武道ではない。
そこにめずらしい同窓生のKさん(女性)が出席されていた。
Kさんは、私のピアノの恩師S先生のお嬢さんなのだ。
私の記憶にある小学校時代のKさんは、天才的にピアノが上手で美人で、しかし無口でおとなしくなんだか近寄りがたい雰囲気をもった人だった。
彼女は最初は桐朋学園のピアノ科に進んだのだが、途中で修猷館の編入試験を受けてこちらに来られたのだ。その後ウィーンに留学された。
しかし、私にとってはやはり異次元の方といった印象が強く、特に硬派を気取っていた私は彼女とは高校時代一度も口をきいたことがない。
そもそも、高校生の時私は同級生の女の子と殆ど話をしたことがないのである。
それどころか、運動会のフォークダンスなんかもあんなチャラチャラした軟弱なものやれるかといって全て拒否しており、手をにぎることはおろか隣に並ぶことすら否定していたのだ。
今考えるとやせ我慢もいいとこでドンキホーテみたいなものだった。
(いまだに私は小学校のお遊戯以降ダンスと名のつくもので女性と踊ったことが一度もない)
硬派を気取っていた私としては自分がピアノを弾けるなんてことはどうしてもイメージが合わないのでごく一部の親しい友人以外は一切秘密にしていた。
しかし、あるとき、誰もいない講堂でピアノを弾いたのを下級生の女の子に見つかってしまい、とんでもない展開になったことがある。
その中にピアノの上手なかわいい子がいて、彼女から連弾を頼まれたのだ。
もともとやせ我慢で無理して硬派を気取っていた私だから結構グラグラし、何度か誰もいない講堂でピアノの連弾をやった記憶がある。
これが修猷館でまともに女生徒と喋った殆ど唯一の思い出という程女生徒との付き合いは無かった。
しかし、この歳の同窓会となるとそんなやせ我慢ももはや必要なく、やっと自然体で話ができるようになった感じがする。
S先生のお嬢さんKさんとも、今回初めてお話することができた。
Kさんは先月紀尾井ホールでコンサートを開かれたばかりで、その時の演奏が話題になった。
Kさんは、ものすごくソフトなタッチで音を包むような演奏をする方であるが、紀尾井ホールでの演奏は本当に繊細なタッチで一つ一つの音色を大切に大切に演奏されていたのが印象に残っている。
私がそうした感想を話すと、Kさんは「それはまさに私がそうしたいと願って弾いていたのです」と目を輝かせて本当に嬉しそうだった。
私は子供の頃本当にピアノが嫌いでS先生の所にレッスンに行く日は熱が出たり、いつもは酔わないバスに酔ったり、本当にストレスの塊のようになってピアノの稽古をさせられていた話をした。
そうしたらKさんが言うには「貴方はいいわよ、どんなに辛くても週に一日耐えれば良いのでしょう?私は毎日あの厳しい母の監視下でレッスンさせられていたのよ」。
私はビックリした。
あの天使のような天才少女は、ピアノが楽しくて楽しくてたまらず、まるで子犬と戯れるようにピアノに向かっているとばかり思っていたからだ。
そうした母親の英才教育に対する反発もあって、日本中の音楽の秀才が集まる桐朋学園から修猷館に転校したのだと言う事も伺った。
修猷館は文武両道を標榜し黒田藩の藩校時代を含めて200年からの伝統を持つ硬派の学校である。
そこにこうしたお嬢さんが来たのであるから、いやでもその存在は目立ってしまう。
その時の表現は人様々で、同窓会で同席したある女性は「妖精のような」人だったと表現し、繊細さに欠ける京大空手部のDoは「幽霊のような」人だったと表現した。
酒が回るにつれ、私はピアノの技術的な面でのいろんな質問をしてみた。
私がまず驚いたのは彼女の手の小ささである。
私自身はまた特別手が大きく指も太いのであるが、この二つの手を並べてみるとその大きさの差はビックリしてしまう。
この小さな手でどうしてあれだけ豊かな音を響かせることができるのか。
ピアノという楽器はある意味機械(マシン)である。
一旦指でタッチされた鍵盤は、てこの原理でハンマーを動かし、そのハンマーがスチール製の弦を叩く。
つまり、ある加速度でタッチされた鍵盤はそれ以降は純粋に物理の法則に従って音を出すのである。
関数としてピアノの音を捉えると、入力はタッチした瞬間に全ての情報を含んでおり、出力としての音はその後如何なる所作を加えても変えることができないはずである。
これが持続した音を出すことの出来るバイオリン等とピアノが決定的に違う所である。
バイオリンの場合は音の始めから終わりまで常に入力する情報をコントロールする事が可能で、それによって音にふくらみを持たせたり時間経過とともに音量を上げたりすることができるのだ。
いわゆる「歌う」ことが可能になるのだ。
しかしピアノの場合は物理的にはこうした音をふくらませるということはできないはずだ。
でも実際には出来る。
いやできる人がいる。
ピアノで歌える人だ。
あたかも指先で直接弦をコントロールしているかのように余韻を調節し音をふくらませ、音色を変えて響かせることのできる人。
響かせるというのは大きな音を出すということと同値ではない。
目的とする情報量の多い豊かな音という意味だ。
小さな音でも上手な人は響かせることができる。
小さな音を響かせるのは大きな音で響かせるより難しい。
大きな音で、速いパッセージを正確に鋭く弾きこなすのは体操の妙技を見るように確かに素晴らしい。
広いホールで多くの人にアコースティックな音で感動を与えるには、大きな音を出せることが第一条件だ。
しかし、音楽の本質はそればかりではない。
小さな音をその音が与えられた役割に従って豊かに響かせることが出来てこそ大きな音の存在が生きたものになるのである。
話は戻るが、Kさんが一旦断念したピアノに戻るきっかけになったのはある人の演奏を聴いてからだと言う。
それはミケランジェリというピアニストだ。
ミケランジェリの弾くショパンのピアニシモの美しさでまたピアノへの情熱がふつふつと湧きあがったというのだ。
※ミケランジェリ イタリアの名ピアニスト 完璧主義者として有名。
ミケランジェリの完璧さはここでも分かる。NHK-BS2で「アート・オブ・ピアノ」という放送があったがここでキーシンのミケランジェリに対するコメント、「ミケランジェリはミスタッチ一つしない……あのホロヴィッツだって晩年にはミスタッチをしてたのに」
ピアニシモ(小さな音)を響かせる。
これはある意味ピアノの音の究極だ。
原理的には単なる打撃音にすぎないピアノの音、しかもピアニシモであればあっというまに減衰していくしかない音を響かせる。
これは物理的には不可能なことだ。
しかし実際にはこれを実現させるピアニストがいる。
この話を聞いて私は紀尾井ホールでのKさんの演奏の全てに合点がいった。
一つ一つの音を丹念に丹念に絹で包むように柔らかく弾いた彼女の演奏が。
私はふと思い出して中国武術の寸勁の話を彼女にした。
空手の突きの破壊力はつまるところ打撃時点の総エネルギーで決まる。
エネルギーは質量と速度の二乗の積に正比例する。
筋力が一定の加速度を生むとすればストロークは長い程速度は上がる。
したがって威力のある突きは動作としては長いストロークを必要とする。
これが物理的に考察した効くパンチの原理だ。
しかるに中国武術の寸勁は殆どストローク無しで威力のある突きを出せるという。
しかも殆ど力は使わないという話だ。
ピアノの「響かせる」という表現と寸勁の「効かせる」という表現をそのまま置き換えるとこの話は極めて似た様相を呈してくる。
物理的には不可能に近いことをその道の名人は実現させてしまう。
Kさんもとても興味をもってこの話を聞いていた。
話が佳境に入った頃この2次会会場は閉店の時間になり話は中断してしまった。
しかしすっかり出来上がった我々は、すんなり帰る気持ちにはなれない。
音楽についてはちょっとうるさい厚生労働省の局長Yoと、「もう一軒行くか」ということになり、場所をパレスホテルのバーに変えて3次会と相成った。
Yoはこのところ話題の年金問題で連日国会答弁に追われている。
Kさんのコンサートの時も国会答弁のためギリギリで仕事で遅くなった私と厚生省で落ち合って車を飛ばして紀尾井ホールに駆けつけたという経緯がある。
丁度イラクで日本人3人が人質になった時であり、その事を話題にした記憶がある。
3次会ではYoと京大空手部Do、それにKさんともう一人女性のMさん、その他数人となった。
Mさんは学生のとき戦時下のイスラエルで過したという経験の持ち主である。
Kさんはミケランジェリ論を展開したのだが、Doはカラオケ論でこれを切り返し、私はジャズ論をこれにぶつけるということで最後は異種格闘技戦になってしまった。
私の「空手もピアノもコンピュータも原理は同じ」という持論を皆はどのように解釈したかは分からないが、ピアニシモのすばらしさで生き方が変わったKさんの話は強く印象に残った。