Muramatu初段(10人組手時は1級)は他流派、他武道でもいくつかの段位を持っていて、現空研でも技の切れ味ではピカイチです。
しかし今回の10人組手は対戦相手がすごかった。
後半は重量級の猛者がそろっている上、軽、中量級も技の鋭さ完成度の高い実力者がこれでもかとそろっています。
試合は初戦から近年稀に見る激戦となりました。
一人目のHayasi1級は現空研初期からのベテランです。(途中転勤のため休会していたため昇級が送れていただけ)
スタミナを温存しようと持久戦法にでるMuramatu初段ですが、Hayasi1級はそうはさせてくれません。
鞭のようにしなやかな左右の蹴りで容赦なく攻め立てます。
アクシデントはその時起きました。
終了1秒前、攻勢をかけたHayasi1級にカウンターとして出した上段突きが顔面をクリーンヒット。
拳サポータを付けていたのですが、Hayasi1級はダウン。
もちろん顔面は寸止めで、当てる事は厳しく戒めています。ですから反則です。
しかし、流れの中での動きでしたし故意性はまったく感じられません、アクシデントでしたので続行させようとしましたが、Hayasi1級が立てません。
意識はしっかりしているのですが、脳震盪でいわゆるダウン状態となりました。
大事を取ってこの試合は中断。
中段となると本来は1試合のカウントにはならないのですが、タイムは残り1秒ですし、アクシデントは場外スレスレでおきています。
よってこの試合はここで終了し、勝負は引き分けとして1試合にカウントし、10人組手は続行を命じました。
2試合目からも厳しい戦いは続きました。
特に中盤のTakesi初段から立て続けに上段を決められてからはスタミナもかなり消耗し、続くEndo初段の猛攻でおそらく通常のスタミナは消費し尽くしたと思います。
後半の業師、重量級との対戦は、もはや精神力、そして自分との戦いの領域に入ってきました。
一瞬意識が飛んだ状況を感じましたので、意識の確認、脈拍の測定を行いました。
意識はしっかりしていました。
脈拍は限界に近い拍動でしたが、測定中に急速な回復を見せ、本人の継続の意思も高かったので続行を許しました。
限界を超えた中での戦いは続きましたが、すごかったのは9人目のIkeda2段との戦いです。
殆ど本能と反射的な動きだと思いますが、必殺の上段前蹴が炸裂しました。
皮一枚の寸止めでビタリと静止しましたが、Ikeda2段のほほにはうっすらとスリキズが残っていました。
そのあと猛然に反撃されてしまいますが、業師としての面目躍如の一瞬でした。
最後のNito(兄)2段には果敢に打撃戦に打って出ます。
再三ダウン寸前まで追い詰められますが、よく絶え、最後まで気力が折れることはありませんでした。
ついに10人組手完遂です。
よくやりました。
左 Muramatu初段必殺前蹴り 右 9人目の対戦相手Ikeda2段
2009年9月12日
Muramatu 初段
世田谷道場
会社員
東京都江東区在住
先日10人組手に挑戦させていただきました、世田谷道場所属 Muramatsu です。
高校時代、少しだけ伝統系の空手部に所属していましたが、その後30半ば過ぎに再び始めるまで武道とは無縁な生活を送ってきました。
顔に似合わず芸術系の大学を卒業した頃、まだ世の中はバブルの余波が残っており、フリーのカメラマンとして社会人生活を始めた私は写真の事以外考え無い毎日でした。
やがて結婚をし子供が生まれ、順風満帆と思っていたある年、急激に懐が寂しくなってきました。蓄えはすべて写真展などに注ぎ込んできたため生活費はすべて借金で補う毎日。
仕事は半減し、単価は半減以下。酒量が大幅に増え、酔ってなさけない喧嘩もよくやりました。
喧嘩の怪我は保険が効きませんから、医者に行けず、縫った頭の抜糸を嫁にやらせたこともあります。
これでは三一以下です。
どうしようもない屑です。
流石に「これは、いかんなぁ」と思いながらも自堕落な毎日を送っておりました。
そんな折、たまたま見かけたウェブデザイナーの応募に口八丁で採用されてしまった。
薄給でしたが、二人の子供(当時)を抱える現状を鑑み転業を決意しました。
嫁は喜びましたが、中学の頃からずっと夢であった、そして10数年食ってきた職業を辞めるたことは、なんと言えばいいんでしょうか、自分が自分で無くなったような、無力感、虚無感がありました。
生活は急激に安定したのはよいものの、余計なことに3人目の子供を授かります。
上二人が女児であったから、今度もそうだろうと思っていたら、男児でした。ここで急に私は不安になった。
この子に私はどんな背中を見せられるのだろうか。
夢に敗れて酒に溺れてへらへらと薄給をもたらし、時々喧嘩して血を流して帰ってくる駄目駄目親父。
それはそれで十分笑える人生かもしれないですが……。
徒手武道を再び本格的に習い始めたのはこの頃です。
現空研の存在は仕事柄ネットを通じて知りました。
理論的な稽古体系、精神論共に畏敬の念を抱くところ多く、入門したい、という思いは高まるばかり。
けして当時通っていた流派に大きな不満があったとか、そういうわけでは無いのです。
単にそこが「フルコンの流派」では無かった、それだけです。
変な言い方ですが、伝統系しか経験が無い私はフルコンという名の持つ甘美な響きに非常に弱かったのです。
フルコンを一度は経験しておかないといつかきっと死ぬほど後悔するのではないか、そういった思いが頂点に達し、現空研に入門させて頂きました。
初めて道場にお邪魔したときのワクワクした気持ちは今でも忘れられません。
同時に未経験であったフルコンタクトの洗礼を受けました。
ローキックを受け続けるとこんなに痛いのか、という事。
ボディへの突きはこんなにも手首に負担がかかるのか、という事。
隙を見て打っては「止め」がかかる伝統系ルールと異なり、お互いに殴り続けるということがこんなにも疲れることだったのか、という事。
全てが新鮮な毎日でした。
そんな現空研で私もとうとう10人組手挑戦の日がやってまいりました。
正直不安で一杯でした。
今夏は仕事の締め切りが3つ重なり稽古に十分行けてません。
付け焼刃と分かっていながら、走りこみ、断酒を決行したものの、それがどれだけの効果があるのか全く予想がつきません。
最後は「玉砕覚悟の開き直り」の気持ちしか残ってませんでした。(余談ですが、数十年続いた酒浸りの生活から脱皮する事ができました。これは有難いことです)。
おそらく死んじゃう事は無いだろうと。もし仮に駄目だったらまた冬に挑戦すればよいだろう。
ただドクターストップは致し方ないとしても、自分から「辞めます」とだけは言うまいとだけ決意しました。
試験は翌日動けない状況を予測し土曜日の目黒道場で受けました。
当日、10人組手受験者は私一人。
嫌な予感がして対戦相手を見ると、1級が1人、残り9人が黒帯……やっぱり、そうですよね。
そうなっちゃいますよね。
なんだかみなさん楽しそうな顔をしてらっしゃいます。
内容は、やはり想像していたのと全く違いました。
私は上段への蹴りが苦手なため、上段突きで牽制、開いた中段に蹴りを出して相手の足を止め、リズムを作ろうという”素人考え”をしていたのですが、いきなり一人目の Hayashiさんに上段反則をしてしまった事で、それ以降上段への攻撃が萎縮してしまいました。
結果突きが中段ばかりに集中してしまい中段蹴りも効果無く、ひどく単調な組手だったように思われます。
しかも5人目の Takeshi さんに上段を貰いすぎました。
この時点では疲れ自体は無かったのですが、途中からそれ以降(以前も含め)の対戦相手の記憶がかなり飛んでしまいました。
断片的にしか思い出せません。
Nmekawa
さんとの対戦、とにかく足払いで体性を崩してしまおうと思って左右の足払いを連発していたのですが、左足を払ってバランスを崩したかに思えたその足が「フワッ」と上がったかと思うと、次の瞬間私の右後頭部に重たい蹴りがめり込んでました。
あれはすごいです。
なんだか人事のように感動していました。
良く分からないのですがもう一人の自分がテレビで観戦しているような感覚で、こんな経験は初めてです。
9人目の Ikeda
さんとの対戦(後で9人目だった事を知りました)「初め!」の直後に上段に前蹴りをしてしまい「やばい、何もこんなのっけからやらんでも良かった」と非常に後悔したのは覚えています。
思ったとおりその後良いように料理されてしまいました。
全く計算というものが出来ていません。
体が適当に動いているだけでした。
最後の Nito(兄)さんのと対戦、「のこり●秒」という声が聞こえ、「あーしまった、これで終わりだ、何かしなくちゃかっこ悪いなぁ」と思いながらも、猫パンチしか出なかったのはよく覚えています。
他お相手してくださった諸先輩の方々、本当はもっと細かく記したいのですが、飛んだ記憶を取り戻せず申し訳ありません。
夢の記憶を辿っているような、そんな気分です。
ようやく本当に現空研の一員として認めて頂ける所に辿りつけた事に、今はただただ感激しております。
が、これは終わりの無い行程の一里塚と心を引き締め、今後も耽耽と稽古に励む所存であります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。