Matubara君は空手を始める前、長いあいたクライミングの世界で活躍し、そしてそれは現在も継続しています。
185Cmという長身でありながら、体育館の上からつってあるロープに腕だけの力でスルスルと昇って見せてくれたときはびっくりしました。
体は大きいのですが、性格はシャイなところがあってやさしく、態度は全てにおいて控えめです。
しかし、一旦組手になると、そのスタイルは普段の彼とは一変したアグレッシブなものに変貌します。
初心者の多かった世田谷道場の開設時から目立った存在の一人でした。
技を覚えてくるにつけ、その長身を利した、上段攻撃は威力を増していきました。
最短スピードで昇級を果たし、最初に黒帯を取るグループに入るだろうと誰もが予想していたのですが、出張など仕事の都合で合宿や昇段審査を受けられない状況があり最初のチャンスは断念せざるをえませんでした。
しかし今回やっと掴んだチャンス、夏合宿でとうとう10人組手を達成し初段を獲得しました。
今年は重量優先での組み合わせになっています。
勿論軽量の10人組手挑戦者でも重量級の選手は当てるのですが、身長で大きなMatubara君と体重の重いアビ(Kamioka)君は大きな選手たちとの組み合わせが最も多くなりました。
Matubara君は後半大変苦しい戦いを強いられます。
しかし最後はおそらく精神力が彼を立たせていた唯一のものではなかったと思えるほど壮絶な戦いを繰り広げ、ついに10人組手を完遂したのです。
しかし、古傷を痛めてしまいました。
まだ怪我が完治せずしばらく道場を休んでいますが、近いうちに基本稽古だけでも復帰したいというメールをもらいました。
もちろん東京の忘年会には出席します。
平成16年合宿 左:Matubara(現初段)
平成17年合宿 右:Matubara初段
右はSuzukiR(現初段)
左:Murakosi君
2005年11月17日
世田谷道場 Matubara初段
システムエンジニア
まえがき
私は現空研の空手を始める前は、ひたすらクライミングに十年以上打ち込んでいました。
そんな私がクライミングを通じて実感した、自信を持って言えることが一つあります。
それは * 継続は力なり* ということです。
そのクライミングで大きな目標を達成してしまった時を境にしたある日から一生冷めるはずがないと思っていたクライミングに対する情熱が少し冷めてしまっていることを感じていました。
そして、クライミングは続けつつも、何か新しいものをぼんやりと探し求めていたのです。
そんなところに、今から約2年半前、偶然に現空研のHPに出会い、園田会長のコラムを読むにつれ現空研の空手というものにすごく惹かれていきました。
「ここでなら今まで全く武道とは縁の無かった自分もやってみてもいいかな?もっと近くにあればなー・・・」
などと考えつつ、会長のコラムを楽しみに時々更新をチェックしていました。
すると間もなく、私も通うことができる世田谷にも道場が開かれるという情報が掲載されたのです。
「せっかくクライミングを続けてきて、それなりに鍛えられてきた体をこのままなまらすよりも、どの程度他の分野で通用するのか試してみるのも面白いな」と、とにかくポジティブに考えて、これをチャンスだと思い世田谷道場開始と同時に突然、格闘技の世界に飛び込んでしまいました。
そして、現空研の空気に触れた直後には、やるからには黒帯をもらうまでは続けたいと思うようになっていました。
全く武道経験が無い自分にとって最初の3ヶ月の劇的な変化、それは格闘技に適応してゆく精神的、肉体的変化だったと思いますが、それは筆舌に尽くしがたいものがあったと思います。
入門後3ヶ月もすると、どうしても組手稽古で手足の指を痛めてしまうことがあり、そうするとクライミングは全くできなくなってしまうので、クライミングとの両立、少なくともクライミングの実力を維持することは不可能であるということが分かりました。
それでも特に最初の一年間は稽古の一日一日が新しい発見であり、楽しさと探究心が痛みを圧倒的に上回っていました。
「二兎を追うものは一兎を得ず」
とにかく、当面は運動は空手の稽古を中心に据えることにしました。
クライミングは幸運にも稽古で手足の指を痛めていないときに、できる範囲で行うこととしました。
今思い返すと、この二年半の間に足の指を痛めてクライミングシューズが履けない時期や指が痛くてホールドが握れない時期がどれだけあったでしょうか。
今年の三月くらいに長期出張などによる稽古の遅れを取り戻そうとして急にはりきり過ぎたためか左側面に稽古に支障が出るほどの腰痛が発生しました。
その他にも手首の古傷をまた悪くしたりと、思うように稽古ができませんでした。
しかしそこは割り切って、特に不安要素であった持久力に絞ることとしました。
走るとクライミングで痛めた古傷の膝や足首の靭帯がすぐに痛くなってしまうので、慎重に徐々にウォーキングから始め、五百メートル、一キロと少しずつ走る距離を長く取り入れていきました。
一ヶ月程で30分以上ゆっくりですが走り続けることが出来るようになり、少なくとも2分X10=20分以上動き続けることができることを自分に証明することができました。
組手の2分とは比較になりませんが・・・気休めにはなります。
・・・後で本当にただの気休めだったことがわかりました。
そして、ついに審査当日。
武道経験ゼロの中年が現空研に飛び込んでから早二年半、ついに黒帯の審査を受けるところまでこぎつけました。
さて、実は肝心の十人組手の内容はあまりよく覚えていません。
当日は十人組手の審査が始まっても、自分の審査が始まる直前まで、それほど追い詰められた感は無かったのですが、やはり次は自分の番だというところに来て、平常心とは言えない状態になっていたのだと思います。
ただ、審査終了後しばらくは、すごく早い段階でダウンしてしまったこととそれ以降はあまりに情けない内容であったことが、恥ずかしくて思い出したくないという感じでした。
これまで、審査の感想を読んだり聞いたりした時に、悔しいというようなニュアンスを感じたことが、度々ありました。
「何言ってんだよ〜黒帯もらえたのに何が不満なのよ〜!?」
と内心思っていましたが、もしかするとその方々にも通ずる気持ちがあるのかもしれません。
最後に、しばらく時間を置いて改めて思い出されるのはやはり一緒に稽古をしてきた仲間たちの励ましの声援ばかりです。
この場を借りてお礼をさせてください。
「ありがとうございました!」
あとがき
「まえがき」では偉そうに * 継続は力なり * などと書きましたが、実は審査以来、まだ一度も稽古に出ていません(エヘヘ、スミマセン)。
その理由の一つは怪我が思った以上に悪いようで、なかなか完治しないことと、もう一つは怪我を完治させて、どこも痛く無い状態でもう一度自分のクライミングの限界にも挑戦したいと考えているからです。
継続こそ力ですから、その間に同期の皆にはますます差を広げられ、後輩の皆には追い抜かれてしまうかもしれませんが。
組手の楽しさを考えると複雑な心境です。・・・・・・・・