ヒット カウンタ

昇級昇段審査雑感


平成11年の夏季合宿も無事終了しました。
救急車を呼ばなければならないような大きな怪我や事故もなく、全員無事に帰ることができたと思います。

今回は昇級昇段審査は対象が茶帯以下だけでしたが、熱心な会員ばかりでしたので、経験年数が若いわりには中身は大変満足できるものでした。

我々の標榜する空手は実戦空手でありますから、突きや蹴りがただ当たるだけではだめです。
それが結果として相手にダメージを与えるものでなくてはなりません。

普段の稽古のときもこのことは口をすっぱくして繰り返し言っております。
基本稽古や乱撃、寸止めの組手も全てはこの一点に向けた稽古でなければなりません。

ダメージを与える突き蹴りをお互いに出し合う攻防を本気で行うということは一般の人には想像できない体力の消耗を伴います。
本気の殴り合いを2分間続けるということは(格闘技経験のない)普通の人が頭で考える何十倍ものエネルギーが必要なのです。

この感覚はフルコンタクトあるいはそれに近い稽古を行う空手の経験者であれば誰でも知っていることです。
本気の殴り合い(稽古や審査ではない)で勝ちをおさめるには、相手がダウンするまで自分の体力を維持することが最低条件です。

「一撃必殺」という言葉は空手の威力を説明したり、また目標とするために昔からよく使われますが、これは実現するのは大変なことです。

相手がよほど弱ければ話は別ですが、互いに鍛えた者同士の格闘となると一撃で倒すとういことは至難のわざです。
つまり、ある程度の時間自分の全力を出せる基礎体力がどうしても必要になります。

そしてその基礎体力と最も重要な技術、それにその時の体調、場所(例えば床の材質)の状況、温度や湿度といった環境、そういったもろもろの条件を全て総合的に判断して現時点の自分の能力を客観的に把握する必要があります。

これだけではありません。もう一つ重要なことは相手から見た状況はどうかということです。
例えば、床がツルツルで滑りすいとします。このことは自分中心に考えれば自分の実力を出し切れないかもしれない悪い環境ではありますが、これは相手にとっても同じことが言えるのです。

環境の問題は基本的には共通にふりかかってきますので、直接的には有利不利にはつながりません。
あなたがスケートの選手で滑りやすい環境には慣れていたとしたら、むしろプラスの材料になるかもしれません。

しかも状況は瞬時に変わることもありますからそういった総合的な判断はリアルタイムで修正していかなければなりません。
このとっさの判断力が武道では非常に大切なのです。

道場で話したこともありますが、通り魔のような不心得者の襲撃をいきなり受けたときどうするか、ということの答えでもあります。
自分の回りの人は全て通り魔だという仮定で構えていれば、短時間なら不覚をとることはないかもしれませんが、すぐへとへとに疲れてしまうでしょう。

現実問題としてこんな身構えを四六時中行って正常な社会生活を営むことはできません。
社会生活とは回りの人は全てとりあえず、善意の人なんだという前提でなりたっています。

そしてそうでない、つまりあってはならないことが起きたとき臨機応変に対処するという約束で営まれているのです。
正当防衛の話もからんできますが、このことはここでは深く追求しません。

状況に応じてとっさに判断して最適の対応をとるということの重要性を言いたいのです。
状況に応じてとは言葉で言えば簡単ですが、逆の見方をすれば、状況が起きない場合は対処しないということです。

対処していないときに突然何かがおきるわけですから当然リスクはあります。
状況に応じてとは、初動のリスクを背負えということでもあるのです。

このことは大変重要なポイントです。
何でもそうですがノーリスクで行こうとすると大変なコスト(とうい言葉が適切かどうかはわからないが)がかかるのです。現実には不可能です。

何もしていないのだけれども、状況にすばやく対応できる心構え、つもりリラックスした状況、これが大切です。
これは空手の試合という限定された世界にもあてはまります。

組手、特に多数を相手にするときは、いかにリラックスして対戦できるかが重要なポイントです。
しかし、リラックスしすぎて打たれまくっては何もなりません。瞬時の状況判断で必要な防御、攻撃には集中して全力を出します。

必要な瞬間に必要なパワーを出せれば良いのです。
と、口では簡単に言えますが実践するのは大変です。

別の観点から言えば、心を一点に傾けて執着してはいけません。
例えば今日は「防具を付けて組手を行う」と言われていて、突然「防具なしのフルコンルールで」と変更されて、パニックなるようではまだまだ先は長いと思わねばなりません。

一つの状況を仮定しない心構えが実は大切なのです。
戦い(実戦)はその状況の変化にリアルタイムで対処できる者が勝利を収める確率が高くなるのです。

今回の審査は全員気迫に満ちた、しかも正々堂々とした組み手を行っていたことは大変すばらいものがあり、それぞれのレベルでみれば満点に近いできといっても良いでしょう。

しかし、もっと上を狙うなら、ここで述べたことを理解しそれが実践できる力を養わなければなりません。
それからもう一つ重要なことがあります。

これも大きな観点で言えば、総合的な状況判断というくくりに入ってしまうことですが、とくに取り上げる必要を感じる点がありましたので理解して下さい。

それは、道場の組手においては力の違うもの(特に下位に対して)全力を出す必要はないということです。
審査時においてもです。

何度も言っているように審査は「勝ち負け」を見るわけではありません。
いかに習得した技が自分のものになっているか、基本的な動作が身についているか、そして全ての状況を把握して適切な行動ができるかという総合力を判定するのです。

体力や技術が同等の場合は熱くなることもあるかもしれませんが、感情をコントロールすることも空手の技の一つです。

また、明らかに体力の劣るものと対戦するときには、相手のダメージを考えたコントロールした攻撃を考えるのも当然必要なことです。
もちろん余裕がないと難しいかもしれませんが色帯を締めているのならこの程度のコントロールができなければ失格です。

例えば成人男子が女子や子供を相手にするときの抑制の効いた組み手を覚えなければ色帯を締める資格はありません。
たとえ同じ技術であっても、いや技術としては下位であっても体力がまるで違うのですから゛。

しかし、手を抜くといったことで対処してはいけません。どんな相手でも自分の技術を向上させる方法はあります。
例えば、右利きの人であれば不得意の左構えの稽古をするとか、あえて自分の防具をはずして相手の突きや蹴りをもらってみるという稽古ができます。

私の組手は一見厳しいように見えるかもしれませんが、常に相手の体力や技量を勘案して、最も道場生にとって大きな意味で「適切なダメーシ」を与えるようにコントロールして突き蹴りを出しています。
これは今回のビデオを注意深く見ていただければ分かる人には分かります。

私の基準は相手にいかなる場合も「不可逆的なダメージを与えない」ということです。
安全の確立された(防具の上とか)場所には多少の衝撃を敢えて与えることもありますが、そうでないところは紙一重で寸止めするか当たったとしても脱力しています。

初心者が本人の感ずる恐怖感とはまるで違う愛情ある攻撃なのです。もしピンとこなかったら上手になってもう一度ビデオを見てください。

現空研の会員は、皆誰かの大切な息子さんでありあるいは娘さんであり、また、誰かの唯一のお父さんであり、お母さんであるのです。

怪我をさせない、傷つけない、後遺症になるようなダメーシを与えないというのは最低限のしかも最も重要なルールなのです。
精神的にはかなりの負荷でこれからも鍛えますが、本当の意味でのやさしさではだれにも負けないという自負が私にはあります。

その前提の上に、なおかつ武道としての筋をとおし、強くなるという目標にまい進していきたいのです。

もちろんこうしたコントロールは力に差がなければ一方的には難しいのですが、力が拮抗していても、我々が何の目的で空手を稽古しているのか、という原点に立ち返れば、互いにコントールしあった稽古はできます。
これは、お互いに力を抜いた馴れ合いの空手とは違います。

基本的に互いを尊敬しあっていれば、技術向上のために力は抜かないけれど、相手を怪我をさせるような無茶な組手は行う必要はないということです。

今回の組手ではそんなひどいシーンはありませんでしたが、これからいろんなレベルの人が入門してくる中で、指導的な立場になっていく人達への重要な心構えとして敢えて言及しました。

昇級審査で昇級した人も昇級できなかった人も皆大きな進歩をしていることに変わりはありません。
昇級昇段は結果であり、生涯の空手を目指している者にとってはたいしたことではありません。

大器晩成型の人もあれば、器用に短期間でいろんなことを習得するタイプの人もいます。
どちらが良いという問題ではありません。

「目的を持って行う者は全ての障害に耐えることができる」という言葉があります。

現空研に入った人は皆目的を持って空手をはじめたはずです。
大きな観点にたって努力を積んでください。

今回の審査で感じた細かい技術的なアドバイスもたくさんありますが、それはまた別の機会に述べます。

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