訓練という言葉は最近あまり好ましい意味では使われなくなりました。
訓練という言葉の中には軍事訓練とか体育会的なシゴキといったイメージがあり、戦後の民主的あるいは進歩的という言葉で修飾される一連の考え方の標的にされたからかもしれません。
ここではそのような歴史的なニュアンスには言及しません。
合理的にあるいはドライに割り切って考えてください。
ここでは訓練をフィジカルトレーニングとしてのみ捉えます。
自転車に乗れる人と乗れない人。
スキーを滑れる人とできない人。
鉄棒で逆上がりできる人とできない人。
泳げる人泳げない人
この差はどこからくるのでしょう。
素質?才能?
関係ありません。
訓練したかしなかったか。これだけです。
それもほんの僅かな量の訓練です。ここに挙げた例では適当な時期に行えば、正味訓練時間にして10時間もかからないでしょう。
10時間の訓練で、大袈裟に言えば人生が変わります。
我が子が川にながされて溺れそうになったとき、自分が泳げないことも忘れて川に飛び込み親子ともども不幸な結果になった、という事故がありました。
泳げるか泳げないかということは、日常生活においては殆ど意味の無い差です。しかしこのように人生を変えることがあります。
空手をマスターするのは10時間では無理ですが、それより少し多くの訓練を行えばと誰でも習得できる技術です。
そしてその技術を持つことは長い人生においては鉄棒で逆上がりできるよりははるかに大きな意味があります。
古臭いニュアンスで語られることの多い訓練という言葉は実は大変魅力的な言葉なのです。
まとめ
訓練が人生を変える