我が会に豊島君という猛者がいた。
あだなは「牛」。
皆が、ウシ、ウシと言うのでしばらく本名を覚えられなかった。
彼はヨットマンで、アメリカズカップに日本がチャレンジしたときの日本代表選手に選ばれた。
彼は、あだなのとおり、猪突猛進、勇猛果敢、不言実行型の好青年。
彼は、もとも放浪癖?があり、とんでもないところをほっつき歩く(今はアウトドアと言うのか)習性があった。
その彼が北海道の知床半島に行ったとき。
ここは、行ったことのある人は分かると思うけど、方や絶壁、方や海という断崖に申し訳程度の細い道が続く、秘境である。
そして、熊が出ることでも有名だ。
ここからは彼の話。
豊島「で、熊なんか出るといやだなあと思ったんですよ。逃げるところもないし。」
無責任な連中「熊なんか、正拳一発でしとめりゃいいじゃないか。ウイリー(※)のように」
※ウイリーウイリアムス(極真会館):熊と対決したことで有名。別名熊殺しのウイリー
豊島「一応、ウイリーとか突きとか蹴りとかは考えていたんですよ」
無責任な連中「・・・・・」
豊島「向こうに何か動くものが見えたんです。最初は人かなっと」
満身笑みを浮かべた無責任な連中「熊?・・」
豊島「まさか、と思いました。本当に熊なんですよ」
ますます喜ぶ無責任な連中「で、どうした」
豊島「距離、けっこうあったんですが、向こうは走ると速いですから」
うれしくてたまらない連中「うんうん」
豊島「ウイリーなんか意識から吹っ飛んじゃって・・・・・、でも落ち着け落ち着けって自分に言い聞かせて」
幸せいっぱいの連中「うんうん」
豊島「地元の人から聞いてたんです。熊に会ったら音をだせって」
連中「気合だろ、気合」
豊島「リュックにハーモニカ入れてたの思い出したんです。これだ!って、急いで取り出そうとするんですが、あせってなかなか出てこないんです。でも落ち着け落ち着けって、三戦(サンチン)でイブキしながら、このときは自分との戦いでした。」
連中「・・・・」
豊島「熊が近づくにつれ、自分でも妙に落ち着いてくるのがわかったんです。日ごろの鍛練のせいかな?っと」
連中「・・・・・」
豊島「人間って極限状態に置かれるとかえって冷静になれるんですね。」
真顔になった連中「うんうん」
豊島「後は、至近距離まで近づいた熊を、おだやかな目で見ながらとりだしたハーモニカを吹きました。けっこう静かに吹いたと思います。」
しーんとして連中「・・・・・・」
豊島「一瞬じっとした熊は、そのままくるっと向きを変えて、反対方向にいっちやったんです。」
感心した連中「牛が熊に勝った・・・・」
豊島「空手の修練が、こんなかたちで役にたつとは思ってもいませんでした。あの時の冷静さは今でも不思議なくらいです。これそのときのハーモニカです」
と言って差し出したハーモニカには、
ハンマーで叩いたかのような歯形がしっかり残っていた。