ヒット カウンタ

腰痛の治し方


腰痛を患う人は多い。
二本足歩行の人間にとって腰痛は宿命だとも言われている。

特に、座ったきりの仕事を行うビジネスマンや自動車のドライバー、コンピューター技術者などでは職業病と言ってよい程患っている人は多い。

原因は必ずしも運動不足というわけではない。
有名なスポーツ選手でも腰痛に悩まされている人は多い。

私も過去、随分腰痛には悩まされた。
しかし、現在はほぼ克服している。

最初に魔女の一撃(ぎっくり腰のこと)を食らったのは高校生の時である。
クラス対抗のラグビーの試合中にやられた。

この時行った病院の先生の言葉が今思えば地獄の始まりだったと思う。
先生から受けた注意事項を忠実に守りすぎたのが、その後の状況を悪いものにしていった。

先生の注意は次のような事だった。
重い物を持ち上げるときは腰を折り曲げるのではなく、膝を曲げてしゃがむようにして持ち、立ち上がりながら持ち上げろ。

これは、ある意味間違いではない。
というより、急性期においては腰に負担をかけないのが不可欠である。
また、痛みが治まったなら、しばらくは無理な負荷をかけて再発しないため上記のような注意を守ることは必要である。

しかし、こうした注意はやりすぎると別の弊害が出てくる事を見逃している。
と言うのは、こうした腰に負担をかけない動作というのはミクロで見れば確かにリスクを減らし安全性の高い行動ということになるのだが、長期間、生活全体で、つまりマクロで考えた場合は必ずしも正しくない。

正しくないというよりも大変危険なことだと私は提唱したい。
その理由は、こうした行動は腰の骨格や筋肉を鍛える機会を著しく減少させるからだ。

負担をかけないということは言葉を変えれば鍛えることをしないということだ。
人間の体は使うことによって機能が強化されたり維持できる。

使わなければ衰えていくのだ。
それが、こうした負担を軽減する行動をあまりにも忠実に実行すると鍛えられる機会が失われ、機能が衰えていく。

私は、事腰痛に関しては、この負担をかけないということをやりすぎたということだ。
したがって腹筋を鍛えるわりには腰の負担を伴う背筋のトレーニングが疎かになり、かなりバランスの悪い筋力トレーニングを続けていたことになる。

こうして腰を大事にしすぎた結果私の腰痛は慢性化してしまった。
整形外科に通ったり、有名な整体の専門家に診てもらった事もある。

その時はそれなりの効果はあるのだがどれも抜本的な解決には至らなかった。
私はあるとき自分自身が腰を大事にしすぎていることが腰痛の原因ではないかと思い当たった。

それで腰を大事にする行動パターンに腰痛の根本原因があるという仮定が正しいかどうか実験してみることにした。
比較的調子の良い頃を選んで、今まで腰に負担をかけないように注意していたことの全て反対をやることに決めたのだ。

あらゆる腰をかばう動作を止めた。
重いものを持ち上げるときは、今までのクセで自然としゃがんでいたのをわざと足を曲げないで腰を折って持ち上げる。

当然腰には負担がかかるが、動作を慎重に行うことで危険を回避するようにした。
最初は、軽い痛みがぶり返したりして、やっぱり止めようかなと思ったこともあったが、何ヶ月かやっているうちに、確実に調子が良くなってきたのが分かった。

それで、自信を持ち、こんどは積極的なトレーニングを組み込むことにした。
ベンチを使い足に負荷をかけて背筋を鍛えたのだ。

それから、ダンベルを両手に持って、背筋を伸ばしたまま腰から折り曲げて背筋から大臀筋を鍛えた。
これは効果てきめんで、何と長年悩んでいた腰痛がウソのようになくなったのである。

それから、もう一つ、痛いときには徹底的に冷やした。
腰が痛いときは温泉に入ったり、なんとなく温めたいという気持ちになるのだが、急性期でなくとも冷やす事は良い結果を生んだ。

この冷却法は、あるテレビ番組からヒントを得た。
千代の富士と同部屋の横綱北勝海(ほくとうみ)がやはり慢性の腰痛をかえており、それを特殊な方法で克服したという番組だ。

外国の治療法で、細かいことは忘れたが氷点下の環境に体をさらし、治療するという冷却療法だ。
今でこそ、冷却療法やアイシンングという処置はポピュラーになったが、昔は、冷却で故障を直す、まして慢性の故障に対し、その部位を冷やすという事には冷ややかな態度をとるトレーナーが多かった。

もちろんこの冷却法が全ての腰痛に効くとは限らない。
腫瘍があるとか医学的な病変がある可能性もあるので、一度はちゃんとした病院の診断を受ける必要はある。
しかし、これといった原因の無い腰痛を抱えている方は、この冷却法を試みられることを薦める。

私は、氷をビニール袋に入れたもので一日に数回、数10分から1時間位冷やした。
そして、先に述べたように、あえて腰に悪いと言われるような動作を意識的に行った。

これで、長年悩みの種だった腰痛とおさらばできたのだ。
この劇的な経験は、私に多くの示唆を与えてくれた。

つまり、この原理は腰痛には限らないのではないのか、ということだ。
打ち身、打撲といった事に対する初期の対処としてのアイシングは常識だが、慢性的な痛みにも試してみる価値があるのではないかということ。

そして、逆説的ではあるが敢えて患部を傷めると言われている動作や運動をやってみるということ。
もちろん、常識的に考えて限度というものはあるが。

私が言いたいのは、こういった障害を予防したり、リスクを減らすための防御的な生活態度は、かえって鍛える機会を失い、ちょっとした外力で障害を受けたり、また障害を慢性化させてしまうおそれが多分にあるのでは、ということだ。

バリアフリーという考えがある。
例えば、老人のために住まいの中で段差を無くすという考えだ。

たしかに、小さな段差でつまづいたり足をぶつけるという事故は減らすことができるかもしれない。
だから、これを全て否定する気持ちはないのだけれど、あまりに徹底しすぎると、日常から鍛えるという要素を無くしてしまい、かえって怪我や事故を増やしてしまうということもあるのではないかと危惧する。

こうしたノッペリとした環境で四六時中生活していると、足腰を鍛える機会の多くを失い、こういう配慮の全く無い外部へ出かけた時、わずかな段差や傾斜でも対応できずに転んだりぶつけたりして大きな怪我をしてしまうにうな体になってしまうのではないかという心配だ。

人間というものは本当に面倒なものだ。
短期間では大変快適な環境も、長い期間(例えば一生)で考えれば必ずしも良い環境とは言えないこともある。

概して、近代は怪我や病気の予防といった観点からみた生活や環境において、「鍛える」という視点が失われがちである。
危険は避けつつ「鍛える」という概念も適度に盛り込んでこそ真のバリアフリーだと思う。

話が腰痛からだいぶ離れてしまったが、怪我や障害において今まで常識とされていた治療法や予防法の中には「鍛える」といった視点が欠落しているものが多く、そのため私と同じような経過をたどった方もおられるのではないかと思いご紹介してみた。

ただ私は医者でもなく、また厳密な臨床例を集めたわけでもなく、単なる個人的な経験と自分なりの理屈を考えてみただけなのであくまで参考ということでご了承頂きたい。

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