ヒット カウンタ

怪我について

 

空手の稽古に怪我はつきものだ。
現空研は、安全性に関してはルール上も配慮しているし、常に全員の自覚をうながして事故の防止に努めている。

現空研の基本的な考えは、脳など一旦障害を受けると回復の難しい個所は特段の配慮をし、簡単に回復する単なる打撲程度のダメージは逆に鍛えるためむしろ積極的にダメージを受けてみろ、というものだ。

鍛えるということは、突き詰めれば一旦障害を受け、それを回復させるというサイクルを繰り返すことによって抵抗力や耐久力を獲得していく過程のことである。

したがってある程度の怪我や障害を受けなければ効率的に鍛えることはむずかしい。
我々は、武道としての本質から考えて、空手はテクニックとしての技の習得も大事であるが、攻撃を受けた場合の耐久力も大きな意味で技の一種であるという思想を持っている。

耐久力には、肉体的な耐久力と精神的な耐久力がある。
肉体的にはたいしたダメージを負ってないにもかかわらず、精神的に参ってしまって戦闘力を失い、結果的に肉体的なダメージまで受けてしまうというケースもある。

逆に、精神的にはまだまだという敢闘精神があるのに些細な攻撃で肝心な体がダメージを受けてしまって思うように動けず、これまた結果的に致命的な敗北を喫するというケースだってありうる。

大切なことは肉体的にも精神的にもタフであること。
そのためには、肉体と精神の両方をバランスよく鍛えておくということだ。

ただ精神的なタフさというものはそれぞれの個人が持って生まれた基本的な資質というものもある。
肉体的には、これ以上どう自堕落な生活をすればこうなるのかというほどブクブクに肥満したオバサン(オジサンでも同じ)が、なんでこれほどまでのタフ(無神経とも言う)な精神を持っているのだろう、といったケースもある。

このように、肉体と精神はかならずしも一致しないのだ。
が、しかし。

一個人で見れば、その精神力は肉体を鍛えることで向上することは間違いない。
鍛えた人間は極限状態で自分を奮い立たせるための決定的な材料を持っている。

雨の日も風の日も何年も道場に通い続けた実績。
死ぬほど辛い四股立ちでの連続突きを耐えた実績。

当てる乱撃で何十発も体に受けた生の正拳の感触。
そして地獄の10人組み手を達成して獲得した黒帯。

こうしたものは、達成した者だけが持てる自分の歴史である。
自分で自分を評価できるこうした客観データが達成した者にはある。

頭の中ででっちあげた空想の強気ではない、ごまかしようのない事実としての実績。
これが、極限状態におちいったとき自分の支えになる。

実績の裏付けがある精神力。
この精神力の獲得が現空研空手の目指す理念の一つになっている。

理不尽な暴力に屈しない精神力はこうした実証的な肉体的な鍛錬から確固たる信念として醸成される。
こうした鍛錬を行うにはある程度の怪我は容認しなければならない。

ではどの程度の怪我は容認できるのか。
これは、現空研は明確な指針を持っている。

本ホームページの頭にある「理念」をもう一度読んでいただきたい。

脳やその他の体の器官に不可逆的な損傷を与えるものであってはならない。 
稽古のために日常生活に支障をきたすようなものであってはならない。 

つまり、回復可能であって日常生活に支障をきたさないというのが容認できる怪我の目安である。
手足の骨折などは当然日常生活に支障きたすので不可ということになる。

つまり病院に行かなければならないような怪我は避けるよう努力しなければならない。
容認できる怪我は、次の稽古日までには回復でき、しかも日常の仕事や生活に支障をきたさない打撲や筋肉痛、擦り傷のたぐいである。

なあんだ、と軽んずることは早計である。
初心者にとっては、一週間で回復できるダメージはたいしたことはないと言えるのだが、ある程度鍛えこんだ者は、ダメージ自体なかなか受けなくなるし、受けても回復力が強い。

したがって一週間で回復するダメージというのは一時的には想像以上の物であるということも認識しておいて欲しい。
ある程度鍛えた人間はフルコンの組み手(もちろん全力ではなくコントロールされたレベル)を行って受ける打撃は辛いものではなく、快感と言えば言いすぎになるが、痛みの中にある種の爽快感を感ずるようになるものだ。

まあ、たとえて言えば、子供の頃は辛くて口にできなかったお寿司のわさびとか苦いだけのビールが、大人になれば辛いなりに、また苦いなりにおいしさを感ずるようになるのと似てるかな。

どの程度のわさびが適量であるかは、個人個人で差があるように、与える肉体的なダメージの適量も個人差がある。
この個人差を的確に把握する能力は現空研空手の指導者にとって最も要求されるものの一つである。

その能力があってこそ、過酷になりすぎずかといって過保護にもならない適切な訓練を行うことができるからである。
ゲロを吐くほど騎馬立ちや四股立ちを続けさせることもたまには必要であるが、ゲロを吐く限界は個人個人でかなりの差がある。

この個人差や限界を知らずに経験の浅いものが形だけまねて訓練を行った場合に意味のないシゴキや単なるイジメになるケースが現出するのである。
初めて見る人には地獄のように見える組み手でも私は手を緩めないことがあって、そういう人は私を鬼のように感ずることもあるだろう。

しかし分かる人には私が絶対安全な個所しか攻撃してないことがわかるはずである。
自分で何度も言うのもあれだが、私の本質は繊細でかつやさしい。

逆に、本人はまだまだやる気十分で続行の意思表示をしていても中止を命ぜられて、不本意な思いをしたこともあると思う。
これは、初心者は気持ちが高揚しているときは自分のダメージを正確に認識できないためである。

たとえ昇段審査の最中であっても、安全性の見地から中止した方が良いと判断した場合は、本人がどれほど続行を願っても私は中止を命ずる。
中止することも勇気の一つなのだ。

まあ、こういった基本姿勢で稽古や組み手を行うのであるが、それでは実際の怪我に対してはどう対処したらよいのかというのが今回のテーマである。

さあ、本題だ。
どうも本題に入る前のバースが長くなる傾向があるな。

怪我には外傷の伴うものとそうでないものがある。
外傷の伴うものとは、皮膚が破れたり、爪がはがれるといったものである。

外傷を伴わないものは打撲、打ち身、捻挫の類である。
外傷の伴うものは、直ちに水道水などで洗浄して消毒その他の応急手当をする。

軽いものは放っとけば直る。

打撲に関してはとにかく冷やすことである。
例えば、強烈な下段蹴りを太ももや脛に食らった場合は、とにかくその日はひたすら冷やすと良い。

程度にもよるが直後(当日内)に十分冷やしておけば大抵翌日には直っている。
特に風呂にはいったりして仕方なく温まった場合でも上がってすぐ冷やし直すこと。

いろいろ、張り薬や塗り薬の類があるが、無いよりましといった程度に考えたほうが良い。
とにかく冷やすことだ。

この冷やすことの効果は皆常識として知っていると思うが、その効果は常識の何倍もある。
両足を同じ程度に負傷したとき片足だけ徹底的に冷やしてごらん。翌日その差に愕然とするよ。

冷やす方法は冷蔵庫の氷をビニール袋に入れそれを当てるという方法が一番手っ取り早い。
正拳を痛めたり、蹴りで足先などを傷めたときもひたすら冷やす事。

腫れている場合は腫れが引くまで断続的でもいいから冷やし続ける。
この冷やすという治療は、一見打撲とは関係ないように感ずる腰痛等にも効く。

巷では腰痛は温湿布や温泉治療など暖める方が良いように言われている。
感覚的にも暖めたほうが良いように感ずる。

しかし、急性期には絶対冷やすほうが良い。
慢性的な腰痛の人でも今まで暖めて効果の無かった人は、一度だまされたと思って一日くらい冷やし続けてごらん。
意外な効果にびっくりするかもしれない。

次に突き指に関して。

突き指は、仕事の内容によっては最も支障のでる障害だ。
コンピュータのキーボードを打ったり、工作機械の操作をしている人、音楽でギターやピアノを弾いている人等にとっては致命的な故障である。

私もピアノを弾くが、この突き指で弾けなくなったことが何度もある。
一番大きな故障は20歳のころ、空手の稽古で相手の蹴りを受け左手の薬指を突き指してしまった時だ。

薬指の第一関節から折れ曲がり、その関節が自分の意思では一切動かなくなってしまった。
病院に行かず、アイスクリームのステックを2本使って指を無理やり伸ばして挟み込み、輪ゴムで縛って痛みが取れるまで1週間ばかり放っておいた。

痛みがとれたので輪ゴムを解いてみたところ、指は何とかまっすぐではないが伸びていた。
まあ、これくらいなら何とか許せるかと思って、次に曲げてみたところ、何と動かない。

筋を完全に切ってしまっていたのだ。
慌てて病院に行ったが、時既に遅し。

手術して切れて縮んだ筋を引っ張って繋げば動くようにはなるが完全に元のようにはならないだろうとの事。
がっかりしたが、左手ではあるし、ピアノには支障をきたすだろうが、日常生活には大した影響も無いだろうということであきらめることにした。

試しにピアノを弾いてみたけど想像以上に弾けない。
感覚としてある指の角度と実際の指の角度が違うので指が全て内側に回りこんでしまう。

くそ、せっかくピアノが弾けていたのにとんでもない障害を負ってしまったものだ、と正直その時は多少後悔した。
しかし、あるとき突然奇跡が起こる。

怪我をして2年以上経ったある日たまたまピアノを弾いてみるとちゃんと弾けるのだ。
もちろんその間稽古はしてないので、上手には弾けないのだが、左手のくすり指は多少曲がったままではあるがちゃんと自分の意志でコントロールできるようになっていたのである。

友人の医者に一旦切れた筋や腱が自然に復活することがあるのか、と聞いてみたけどあり得ないと言う。
しかし、現実には2年間動かなかった指が今目の前で動いている。

私だけが特別な体質なのか、とその時は思った。
しかし、私以外にもまったく同じ経験をした友人がいたのだ。

中央大学でボクシングをし、その後極真会館で空手をやっていた中学時代の同級生だ。
彼も空手で突き指をし右手の人差し指の筋を切って指先が曲がったままになった。

病院で私と同じように言われが、手術をしなかったということだ。
しかし、やはりいつのまにか動くようになったというのである。

まったく同じではないか。
彼の場合は、いつも自分で動かなくなった指をまげたり伸ばしたりというリハビリ的なことを繰り返していたらしい。

実は現在も私は右手の薬指と小指に一年くらい前にうけた障害を抱えている。
薬指はプラプラだし、小指は意思に反した動きをする。

これまた、ピアノを弾くには大変困難な状況に陥っている。
たまたま、別件である病院に行ったとき、ご自分も空手をやっているという医師に会い、この指のことを相談した。

彼はやはり筋が切れているので手術をしたほうが良いという意見であった。
しかし、30年前の奇跡の話をすると信じられないという顔をしていた。

私は手術をする気はない。
なぜなら、最近また奇跡がおき、指はプラプラのままだけど自分の意志で少しづつ動くようになってきたからである。

ピアノもかなり弾けるようになったぞ。
人間の体の自然治癒力というものはまだまだ解明されていな能力がかなりあるのではなかろうか。

こういう外傷的なもので医者からあきらめろと言われても、最低2,3の違う病院を回ってみることは必要だと思う。
その中で最も楽観的な医者の言うことが多分正しい。

そして、その全ての医者からダメだと言われてもこういう奇跡が起こるケースもあるのだ。
命に関わるような怪我や後遺症のでるような怪我はなんとしても避けなければならないが、多少の軽い怪我は鍛える意味で

も有用であるし、ダメだといわれたケースでもこのように直ることもあるので、怪我に対しては細心の注意と同時に、神経質

になり過ぎないことも大切だ。

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