現空研では関節技の習得は必須である。
実戦を想定した場合、護身術としての武道としての実力行使は、その使い始めの初動が大変難しい。
まず、一般の社会人が実力行使を行う場合は正当防衛としての行動が大半を占めるだろう。
しかし、この正当防衛は前にも述べたように、なかなか適正な判断がむずかしいのである。
正当防衛はまず相手が先に攻撃しないとなかなか成り立たない。
しかし、刃物やその他の凶器を使われた場合はいかに武道の心得があったとしても後手ではリスクが大きい。
だからといって予防的に一発先に殴ってしまうというのでは正当防衛にならない。
こういう場合に威力を発揮するのが関節技なのだ。
例えば、相手が脅してきて胸倉を掴んだり、手を握ってくる。
あるいは威圧的に肩を組んできたり、暴力すれすれの接触的な威嚇攻撃にでてくる例は多い。
ここで徒手空拳の空手の突き技しか心得がないと、この状況ではなかなか打つ手がない。
肩を組まれたり腕を掴まれたからといっていきなり急所に一撃を食わせるというのはギャップがありすぎる。
相手が重症をおえば過剰防衛どころかこちらが傷害罪の加害者となってしまう。
しかし、掴まれた腕を上手に振り払ったり、周りの人からみれば静かな動作でも相手には激痛が走るという効果をもつ関節技を使えば、相手の行動に対してのつりあいがとれるというものだ。
これで相手が引き下がるなりあきらめてくれれば良し。
さらに乱暴な行動に出たのであれば、それに対抗しても十分正当防衛を主張できる。
というわけで善良な社会人である我々にとって関節技は暴力と非暴力の間の緩衝材としての役割を果たしてくれるのである。
関節技の効能はわかってもらえたと思うが、これを実践的に使えるレベルで習得するとなると簡単ではない。
それは、特に空手においては関節技が形として様式化しすぎていること。
もう一つは競技として成り立ちにくいのでなかなか興味を持ちにくい事があげられる。
最近は総合系のプロの競技などで関節技や絞め技を一般の人が目にする機会が増え多少関心が向う傾向はあるのだが。
現空研ては一定の機会を捉えて全員に関節技を体得してもらうようにしている。
それでも稽古時間は突き、蹴りに比べると少なくならざるを得ない。
それで、今回ここに関節技を習得するコツを伝術することにした。
関節技や特殊な急所攻撃は古来秘伝とされてきたものも多く、各流派ごとに師範が高弟に細々と伝えてきたものも少なくない。
私も昔複数の先生から少しづつ教わったものを統合して現空研では教えている。
したがって現空研の関節技は私が伝統の技を私なりに整理統合したものである。
空手の柔法に合気道や柔道から流れてきたものが混じっていると思う。
技を細かく分類すれば結構な数になると思うが整理すると大きく3つに分けることができる。
まずは、人間の骨格を稼動範囲の限られたジョイントで繋がった棒(アーム)の構成物としてとらえ、それを物理の力学的な原理で破壊するというタイプ。
これを力学型と呼ぶことにしよう。
次に、人体の様々な場所に点在する神経的な弱点(痛点)や筋肉、腱などの生理的に弱い部署を攻撃するタイプ。これを生理型と呼ぶことにする。
最後はこの両方を複合して効果的な攻撃とするタイプである。これを総合型と呼ぶことにする。
「腕ひしぎ十字固め」などは典型的な力学型である。
一方、「送り襟絞め」は一般に頚動脈を圧迫して失神を狙う技でこれは生理型と言える。
道場でよく稽古する「短刀取り」などは相手の痛点も捉え、力学的な動きも加えて相手を制するので総合型と言うことができる。
まず力学的な関節技の習得のコツだが、これは単に物理的な原理だけを追っていても効率は良くない。
なぜなら人間の関節は単純に力学的にモデル化できるような単純な構造ではないというのが一つ。
稼動範囲が広いだけでなく範囲の限界を作っているのが、関節の構造だけにとどまらず腱や筋肉との絡みで構成されているからだ。
しかも、稼動範囲を認知させるセンサーはかなりいい加減であるという点がもう一つ。
酔っ払っていてセンサーの感度の鈍くなった人間は限界を超えても痛がらない。
腕を折っても痛がらないケースに私は遭遇したことがある。
更にこれがかなり重要な点であるが、人間は自分の筋力を実際のパワーとはずいぶん違って認識している点を上げなければならない。
私は道場で、これを実際に見せることで説明している。
先日も体重100kの筋肉質のU君を小学生のO君にある一点をある方向に押さえさせる事で大男のU君がどうしても動くことが出来ないというデモンストレーションを行った。
その後女子部のIさんにもやってもらい、人間の筋力(の認識)のアンパランスさを実感してもらった。
これは何も私が彼等に特殊な技術を教えてそれを行使させたから出来たわけではない。
人間の筋力の特性をよく理解すれば素人でもこういう芸当が可能であるという事を示したかっただけなのだ。
殆どの人が知識としてこれを知らないだけの話だ。
しかしこれを知識として頭で分かっても技として自在に繰るには人体の構造を体感として認識し、そして力学的な作用点を理屈とともに触感で感じ取る訓練が必要となる。
そのコツは文章では書けない。道場で覚えてもらうしかないのであるがこうのような原理であるという認識をもって稽古することで習得するスピードは劇的に上がる。
手首、ひじ、肩に関しては自分の親指の位置とひじの位置、それとある軸のまわりに円を描く動作が主体であるが軸の中心点をどこに置くかが重要なポイントなる。
このポイントが満たされることが関節技をかける必要十分条件なのだ。
この条件が満たされた瞬間に関節技は決まったも同然になるのだ。
逆に言うとこれらの条件のうち一つでも欠けると完璧にかけることが難しくなる。
相手が素人だと不十分な条件でも腕づくで何とか、かかる場合もあるが、相手もそれなりの関節技の心得がある場合は返される恐れもある。
逆にきれいに形に入られて必要十分条件を満たされてしまうと、玄人は失敗をすぐ悟り試合では参った(タップ)となるのだ。
関節技は、こうしたコツをまず頭で理解し、次にそれを体に覚えこませる。
あとは何度もいろんな人にかけてみることだ。
これも非常に大切なことだ。
従来の伝統的な形式化した稽古ではここのところがスッポリと抜け落ちているのだが、人の関節の性質(稼動範囲や痛みに対する耐久力)は千差万別である。
ある人には簡単にかかっても別の人には通用しないということは頻繁におこる。
関節の柔らかい人固い人、筋力のある人無い人、また体つきや動作のくせなど本当に人間は多彩なのだ。
これらせは多くの人に技をかけてみることで最大公約数的なポイントを体が覚えてくれるのだ。
道場で多くの人と技を掛け合うのが上達のポイントだ。
最初は掛けられる方も無理に抵抗せず掛かってあげる事も大事だ。
ある程度上達すると抵抗したり互いに掛けあう事でさらに技が進化する。