ヒット カウンタ

空手上達のこつ その1

空手に限らないのだが、ある技術を身に付けようと思ったら、とにかく最初の門を叩かなければならない。
空手であれば、どこかの道場に入門するか、学校であればクラブに入る。

この第一歩が無ければ全てははじまらない。
空手(あるいは他の武道)の場合は、この最初のハードルが結構高い。

昔からの世間一般に浸透している空手のイメージがある。
そのイメージは人あるいは年代によって違うけれども、学生時代の体育会系のイメージが平均的なところだろう。

このイメージは一部該当するところもあるが、現在の大半の道場は良い意味でも悪い意味でも体育会系のイメージとは異なっている。
だから、この体育会的イメージがネックになっている人は一度道場を見学してみると良い。

一度でも道場を見れば、おおよその実態はわかる。
百聞は一見にしかずというわけだ。

とは言え、道場による個性はかなりある。
お年寄りの健康増進や幼児の躾が主目的といった体操教室的なものから、プロの格闘家の養成を主目的としたものまで、それは様々である。

一般の学生や社会人が護身を主体として黒帯まで視野に入れて生涯続けるような空手ということであれば現空研のような道場を探せばよい。
とにかく、こうして道場への第一歩を進めなければ、全ては始まらないのだ。

適当な道場が見つかったとして、いよいよ具体的な空手人生が始まるわけだが、次に大切な事はどのような心構えで稽古を続ければ上達できるのかという事だ。

私は30年以上空手を続けていて多くの成功者と挫折者を見てきた。
そして、成功者には一つのパターンがあることに気がついた。

成功するタイプの者は、皆モチベーションの維持を心がけているという事だ。

空手をやり始める動機は様々である。
しかし、煎じ詰めるとその動機は「強くなりたい」という一言に収束していく。

そして、なぜ強くなりたいかという問いに対しては、あまり純粋でない動機があったりもする。
しかし、それはそれで一向構わない。

一旦武道の世界に足を踏み入れ、そこで一定の結果を残せるぐらいになると、そうした不純な動機など吹っ飛んでしまうケースが大半だからだ。
私がそうであった。

しかし、モチベーションの維持という観点からこの強くなりたいというだけの動機はなかなか長続きするものではない。
いやどんな動機でもそれを長期間にわたって維持するというのは大抵の人にとって得意ではないはずだ。

ではモチベーションを上手に持続している人はどのようにしているのであろうか。

一つは目標を掲げるという方法がある。
目標は一つである必要はない。

大きな目標(最終的な目標)と途中経過的な目標を掲げるというのが一番現実的である。
例えば、まず色帯を取る、あるいは黒帯を取るといったことだ。

具体的な鍛錬であれば、腕立て伏せを20回とか懸垂を10回といったものでも良い。
現在の自分ではできない事を目標として定める。

途中経過的なものだとあまり現実離れしたものでは目標になりえない。
しかしあまりにハードルの低いものでは目標とは言えない。

今年中に股割を完成させるなんてのは良い目標だと思う。

もう一つ大事な事がある。
目標は自分の胸の中だけにしまっておいてはダメダ。

皆に公表までしなくても良いが(勿論しても良い)、友人や家族その他誰かに言っておくことがコツだ。
言うのが恥ずかしい場合でも、最低限紙に書く(手帳でも良い)。

とにかく脳内宣言は全く意味がない。
あらゆる監査は外部監査以外その実効力は無いというのは社会人であれば常識的に知っていることだろう。

自分に関してもそうなのだ。
人間は皆弱い。

テンションの高いときどれほど立派な決心をしても、弱気の時や落ち込む事もある。
脳内の決心なんてあっというまに消えてしまう。

問題は脳内決心は消えた時その消えた自覚すらないということだ。
多くの人がどれほど多くの脳内決心をして、そしてそれが消え、その自覚すらないことか。

最低限でも気持ちを紙に書くなりして自分の脳以外の客観的な場所に保持しておく必要があるのだ。
これが紙だけでなく第三者に宣言するという形であれば完璧になる。

テンションの高い時に低めに設定した目標であっても、一旦宣言した後、テンションが落ちこんだ時それを見れば、,随分過酷な目標に感ずることもあるだろう。
しかし、それは落ち込んだ時に感ずるハードルの高さであり、テンションの高い時には低めに設定した目標であるという事実は客観的に知ることができる。

そこに自分を鼓舞する原動力が生まれるのだ。
今の自分は本当の自分ではない、弱気になっている自分なのだと客観的に知ることができる。

これが大切なのだ。

これを実行するだけでも、貴方が成功者になる確率は飛躍的に上昇する。

 

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