2014/04/25
本日岩井のぞみさんのピアノリサイタルに行ってきた。
紀尾井ホールも久しぶりなので地下鉄永田町から散策がてら歩いて行った。
私のオフィスが赤坂にあった頃はこのあたりは庭みたいなものだったがちょっとの間に随分景色が変わっている。
赤坂プリンスホテルが無くなっていてその空虚な空間が妙に寂しく感じた。
弁天橋から見た赤坂プリンスホテル跡 紀尾井ホール入口
紀尾井ホールと向いホテルニューオータニは昔のまま。
入口に行くと開場前から長蛇の列。
おお、これは素晴らしい演奏会になりそうだとの予感。
中に入るとロビーの大勢の人の中に知った人がちらほら。
私は会場の中ほど左側でピアノの鍵盤が見える席に着いた。
マイクのセッティングやビデオカメラの設置も気になる。
録音に関する話を少し聞いていたからだ。
この件については後の打ち上げで思わぬ展開となったのだが。
演奏は冒頭の一曲が一番気になった。
そうイタリア協奏曲だ。
後で岩井さんとお話した時、いろいろ伺ったのだが、彼女も一番緊張した曲だったそうだ。
私は目が見えない状態で最初の打鍵はどうするのか緊迫して見ていた。
彼女はサポートする人と一緒に舞台に登場し割れんばかりの拍手の中一礼して椅子に座った。
しばらく心を落ち着けるようにスタート前の単距離選手のように静止した。
そして第一音を出すべく動きがあったが一瞬躊躇し、又深呼吸した。
そして音楽は始まった。
バロック時代の古典音楽は構造が極めて数学的で論理的にできている。
特にバッハは全ての構造が和声という時間軸に縦方向の断面図でも時間推移とともに横方向に変化するメロディー展開においても全てが理論通りに組み立てられている。
後のロマン派の音楽のようにテンポや強弱を感情にしたがって変化させうる許容範囲が狭い。
コンピュータに演奏させても正確でさえあればある程度様になる。
しかし良い音楽は常に演奏者によって歌われる。
歌うというのは声で歌うだけではない。
楽器でも歌えるのだ。
彼女は賢明に歌おうとしている。
悲壮感ではない。真っ正直に明るく、そして元気に歌おうとしているのが伝わってくる。
良く鍛錬されたテクニックと驚くべき感性の豊かさがそれを可能にしている。
並外れたテクニックがその音の柔らかさ、しなやかさとなって響いてくる。
しかし私はずっと緊張していた。
一般にはなじみがあまりないイタリア協奏曲だがピアノをやっていた人なら誰もが知っていたり弾いた事のある曲。
そして歌うにはあまりに困難な曲。
私は第一楽章を手に汗を握って聴いていた。
最もリラックスできたのは第三楽章に入ってからだ。
素人だったら一番難しい第三楽章は彼女にとってはサイクリングコースを乗りなれた自分の自転車で流しているくらいの感じだったろう。
のびのびとおおらかにそして繊細に軽快に弾き終えた。
絶賛の拍手の嵐が彼女を包んだ。
次のプログラムはメンデルスソーンの無言歌集よりいくつか選ばれたものだ。
皆が良く知っているメロディーのものも多い。
映像が頭に浮かんでくるような情操感豊かな流れが紬糸のように織りなされていく。
バッハの時は鍵盤を見つめていた私だが、メンデルスゾーンは自然と目を閉じて聴いていた。
そして20分間の休憩をはさんで最後のドビュッシーは本当にのびのびとした演奏で、私などが安心感と言っては失礼なのだが本当に軽く、繊細でそれでいて大胆な普段の自分の演奏そのものだったと思う。
鳴りやまない拍手を割ってのアンコール二曲の間に彼女が自らマイクを握ってメッセージを送った。
それは、彼女の日本での最初のリサイタルをプロデュースし、今回もその方の元でのリサイタルだっだが病で会場には来られない事に対しての感謝の言葉なども交えた素敵なコメントだった。
多くの人の支えや応援もあって彼女の才能が開花していった事が感じられたひと時でもあった。
リサイタルの後、非公式ではあったが私は向かいのホテルニューオータニのバーでお話する機会を得た。
そこで、またまた私にとって懐かしい人と会ううことになる。
今回実質的に全てを取り仕切った音楽プロデューサマキちゃんと岩井さん 大物政治家の秘書井出さん、私、ソプラノ歌手荒牧小百合さん
それは大物政治家(元首相)の秘書井出さんと美人ソプラノ歌手の荒牧小百合さんだ。
音楽家の新年会やパーティーでご一緒したり飲み会でご一緒したことがある。
一度音楽家のための数学セミナーを行ったことがあるがその時の事をお二人とも覚えておられた。
井出さんは音楽にも精通しておられるがその他方面にわたる博識とリアルに政治の現場に立たれている視点がさりげない話に感じられてとても新鮮だ。
荒牧さんが2007年のパーティーで「Time to say goodby 」をすばらしいソプラノで歌われのを覚えている。
私はその時ジャズピアニストの岩崎涼子さんと連弾でバッハのきらきら星変奏曲をデュエットでジャズ風に即興演奏した。
この時は現空研の伊藤夫妻や修猷館の園田真一君も参加している。
会員ページに動画が残っている。(音楽新年会2007年動画集)
それから今日演奏のカメラ撮りをしていた方は以前音ご紹介した音楽プロデューサーのマキちゃんの音楽家新年会でお見かけした東大ピアノ同好会の木下さんだ。
アマチュアピアニストではあるが新年会ではショパンを披露されていた。
現在は独立してコンサート企画や撮影、録音、編集ディスク化などの会社を起こしていて、今回は撮影の仕事としてこのリサイタルにかかわっておられたのだ。
彼と話をしているとすぐ隣の私と同年配の紳士が話かけてこられた。
彼も木下さんと同じ東大の医学部を出た於保さんというお医者さんだったのだ。
そして私が空手道場を主催していると知り、「実は私も東大の空手部でした」、とおっしゃるのだ。
東大医学部の空手部と言えば私の修猷館の同窓で鴨川君がいる。
彼の事を話すと「あー彼は一年先輩です」と言うではないか。
持っていたタブレットで現空研のホームページで私と彼と京大空手部だった土井君との写真を見せると驚いていた。
世間は本当に狭いものだ。
空手の話に花が咲いたのだが、彼のルーツが九州の佐賀と知り、私は福岡ですということで今度は郷里の話や歴史の話で盛り上がった。
やがて彼が相当年期の入ったオーディオマニアであることが分かり、人間の感知能力を超える2万ヘルツオーバーのいわゆる高周波成分の音楽における意味とか人体に与える感覚や影響といった話になっていったところ、話に加わってきたのが今回録音を担当された入交さんだ。
彼は頂いた名刺によると毎日放法の放送運営部送出部マネージャーという肩書だが音響に関しては工学博士号をお持ちらしい。
今回は彼の専門であるサラウンド技術やハイレゾ録音の話も交えた面白い話に花が咲いた。
私はデジタル技術屋の立場でのサンプリング周波数が豊富に与えられる映像に比して音に対してはプアな配分が気に入らないというような話をした。
こして理系3人組で空手や音楽、オーディオの話に花がさいた。
こちらの話は大変面白いのだが、私は岩井さんにちょっと尋ねたいことがあった。
それで彼女のそばに行っていろいろ尋ねた。
なぜ、バッハのイタリア協奏曲をトップに選んだのか。
彼女はこれは冒険だと思ったけどチャレンジしたかったのだと言う。
私は彼女はもっとロマン派以降の音楽が好みではないのかと思って一番好きな作曲家は?と聞いた。
彼女はなんとバッハだという。
バッハの対位法の精緻な組立なども含んでやはりバッハがとても好きだと言われた。
私もバッハが大好きというか若い頃はバロック以外はあまり聴きたくもなかった。
ロマンは以降のクラシック全体に興味がでてきたのは随分だいぶ後になってからだった。
しかし中途半端でクラシックピアノを止めた私と彼女では同じバッハが好きと言っても意味するところのレベルはまるで違うと思うが。
「実は私はかなり緊張して最初は聞いていたのです。目が見えなくて最初の打鍵はどうやって鍵盤を探すのですか、また音が飛ぶときの鍵盤の位置はどうし探すのですか」と聞いた。
彼女は最初の位置は触って確かめます。そして演奏途中でも実は「まさぐっているのです」と答えた。
これはなんとなくわかる。
「まさぐる」と言っても素人の想像する触りまくるようなものではない。
今弾いているフレーズの途中で未来予測して一瞬の触れやタッチの感触で位置感覚をキャッチするのだと思う。
彼女は言う「目の見える人でもいつも鍵盤を見ているわけではないでしょう」
確かにそうだ。というより楽譜を見ている時は鍵盤は見ていない。
見るというより視界のどこかで感じているという程度かもしれない。
武道に心眼という言葉がある。
目をつぶっていても敵の気配を肌で感じ、心の目で見る。という教えだ。
岩井さんの感性は武道で言う心眼に近い感覚なのかもしれないとその時思った。
こうして大変楽しいお話を美味しいお酒を飲みながら素敵な方たちとできたということは大変嬉しいひと時であった。
最後に彼女のお母様も一緒に記念写真を取らせていただいんたのだが、彼女と握手をしたときそのあまりに華奢な手にびっくりした。
この手でこの指であれだけ大胆に力強くまた繊細に自在にピアノを弾かれるのだ。
私はまた特別手が大きく指も太いのであるがこの対比を見て欲しい。
岩井のぞみさんのお母様と一緒に記念写真 彼女の手の華奢な事に驚き写真を取らせてもらった。