2009/05/22
現空研には私の母校修猷館の後輩(昭和58年卒)、伊藤君と尾崎君がいる。
尾崎君が平成15年の9月に入門し、ほどなく伊藤君が入門した。
二人ともMBAを持つ秀才であるが、空手をやりたいと思うくらいだから血は熱い。
現在は二人とも黒帯を締め、道場では指導的立場である。
伊藤君は現在外国語学校を経営し尾崎君は大手総合金融会社に管理職で勤務しているバリバリのビジネスマンだ。
それぞれの息子さんもまた現空研に入門し、二人ともお父さん譲りの気迫のこもった空手を行う。
昨年の夏期合宿写真 息子さんたちの写真
タイプはまったく違う二人である。
尾崎君は、性格が温厚でまじめであるが、内に秘める闘志はすさまじく、黒帯をとるための最大の関門10人組み手のときその精神力は周りを唸らせた。
そのとき最も大きな声で激を飛ばしていたのが伊藤君であった事は当然である。
伊藤君はもともと修猷館の応援団のボスであり、良くも悪くも私と同じ九州男児の血気盛んな伝統を色濃く引き継いでいる。
その空手のスタイルはまさに喧嘩空手であり、私の標榜する実戦空手を心技体で受け継いでいる。
このようにそれぞれの個性はまったく異なるが、一旦決めた目標には命がけで取り組み、そして達成するまでは決してあきらめないという勝負根性に関しては共通のものを持っている。
今年は後述する東京修猷会の幹事の仕事で出られなかったが昨年の第一回現空研空手道大会では尾崎君は壮年部軽量級で準優勝、伊藤君は壮年部重量級3位という好成績を残していることからもその技量、精神力が分かる。
さて、その東京修猷会であるが、私の卒業年次昭和42年卒が幹事を務めた平成5年の大会では、東京一九猷会の会長を務める土井(住友ステンレス鋼管社長、元京都大学空手道部キャプテン)の要請で私が昔のジャズ仲間を集めて演奏を行った。
修猷館館歌をジャズで演奏したのはあれが初めてで最後になると思う。
修猷館館歌(校歌)は実は音楽として見たらむちゃくゃな構造なのだ。
なにしろ4拍子で始まった歌が途中からいきなり3拍子に変わり、そのまま終わるというとんでもない構造だ。
「ミクニのタメニ」ここまで4拍子。
「ヨノタメニ、ツクスカンユウイクソバク」ここは3拍子。
甲子園で演奏される多くの校歌を聴いたがこんな構造の校歌は聴いたことがない。
第一、3拍子では行進しにくいぞ。
でそれをシャズでアドリブでやるとなるとその日のためだけに集まった速成バンドでは無理だ。
そこで私がそれを無理やり全編を通した4拍子に編曲した。
もちろん元の情緒というか修猷館の歴史を損なうものであってはならない。
しかも一回こっきりのぶっつけ本番である。
何とかできたと思うが思い出しても冷や汗がでる。
ちなみにこの時アルトサックスで私の編曲(変曲?)した館歌を見事に吹いた山田譲君(当時一ツ橋大学の学生)は現在日本でトップクラスのジャズ演奏家になっている。
話が手前味噌になってしまったが、尾崎君と伊藤君の話に戻す。
彼らがこの6月5日(金)18:00より、グランドプリンスホテル赤坂 別館5階ロイヤルホールで開催される東京修猷会総会の幹事となった。
特に、注目したいのは出し物である彼らの演ずる「舞」である。
題して「飛燕の舞」
伊藤君からのメールでは
「当日の企画の一つ、乾杯前のエール(舞)では、私と尾崎はステージで、舞を演じます。普段園田先生に鍛えていただき成果を何より現空研の名に恥じないよう、しっかり腰を入れて舞う所存です。
また本年の館歌斉唱の指揮は若輩ですが、私が務めさせて頂く予定です。」
との事であり、私としても最も楽しみにしているイベントだ。
伊藤君はこのためにブログを立ち上げている。 一人ぼっちのスタート
そこで、私の登場する「裏修猷館史」の紹介なども掲載されている。
現空研道場においても、修猷会においても限りなく熱いこの二人に最大のエールを送りたい。
東京修猷会ホームページ 修猷館魂に新武士道を感じた(昭和42年卒園田康博)