忘年会も無事終わりました。
古いメンバーも顔を見せ、楽しい一時でした。
私は、家を出る直前に急用の電話が入り、遅刻してしまいました。
皆、私が来るまでごちそうを目の前にしておあずけ状態だったということで、あとで絞られるハメになりました。
忘年会の一次会では、
はじめて顔を合わせる人も多いので、私はエピソードも交えて、一人一人紹介しました。
めずらしい人の中にEN2段とO初段の顔がありました。
この二人も、エピソードには事欠きません。
EN2段は、その昔、今回の忘年会の2次会に使ったバーで、知り合ったのです。
彼はここでバーテンをしていました。
ある時フラっと入った店で、えらく体格の良い若者がカウンターでシェイカーを振っているのです。
「なんか運動やってるの」と私。
「野球をちょっと」とバーテン。
「どの位」
「高校のときはキャッチャーで甲子園をめざしてがんばっていましたけど、大学では何もしていないです。」
「大学?、大学行ったの?」と私。
「今、大学生です」
「え!!」っと絶句する私。
彼は、短髪で口髭をはやし、蝶ネクタイの黒服で(当時の大学生の定番はロングヘアーに破れたジーパンでしたから)、とても学生には見えなかったからです。
このおじさん顔の体格のいいEN君をむりやり道場につれてきたのがきっかけで、彼の大学の後輩数人が入会してきました。
その中の一人がバレー部のキャプテンをしていたN君で、現在警視庁の機動隊で活躍しています。
今回はN君の紹介ではないので、話はEN君に戻ります。
EN君は、素質もあってメキメキ強くなっていきます。
彼は生まれつき体がタフで、当時のやり方でボディーに思いっきり突きを入れても、にこにこしていました。
後で、聞きましたが、道場の帰りに電車の中で何度もゲロを吐いたそうです。でもあの時は知りませんでした。
当時の拳誠会には、もう一つ、ある会社の社員を中心にした練習生たちがいました。
こちらは、学生とちがって、年齢や体力もまちまちです。
その中にO初段(当時は白帯)がいました。
Oさんは、熱心ではありましたが、コツコツと地道に成果を積み上げていくタイプで、いわゆる器用なタイプではありません。
性格ものんびりとしており黒帯をとるのに十年以上かかっています。
現在は、殆ど飲み会のみ皆勤賞のOさんです。
その二人がまだ、EN君が茶帯、Oさんは白帯のとき、昇段審査で組手をすることになったのです。
二人とも体重は80キロはありましたから、パワーはあります。
EN君の回し蹴りがOさんの顔面を直撃しました。
Oさんは頭蓋骨を骨折する重傷を負ったのです。
地元の川崎の病院に緊急入院し、手術の結果大事にはいたりませんでしたが、3ヵ月も病院生活を送ることになりました。
その後、会のヘッドギアの導入のきっかけになった事故でもありました。
現空研、拳誠会の30年近い歴史の中でも、最も大きな事故の一つです。
今では、二人とも笑いながら話せる昔の思い出になりましたが、笑いながら話すほど、この手の話は凄みを増します。
はじめて、聞いた会員にはギョッとした人もいたはずです。
会員の皆さんへのお願いですが、
他にも、公表するのはちょっと、と思われるような面白い、でも凄い話がいっぱい出ていましたが、お酒の入っている仲間内の話しとして、差し引いて聞いて下さいね。
その時、その時は皆必死だったり、恐かったり、痛かったりしたのも事実かもしれませんが、後からあらためて話にすると、実際以上に大袈裟に聞こえてしまうのです。
私は現在、安全性に関しては、最大の努力をしていますから、こういった事故は起こりませんし、起こしません。
今はやり方を変えています。現会員はそれは肌で感じていますよね。
その後EN君は、その大学の商学部を卒業して何と彼のイメージと最も遠い化粧品会社に就職し、営業マンとして美女に囲まれる仕事に就きます。
そして、もっと凄いのは、彼は脱サラして、会社を起こし、今は従業員7人を抱える会社の社長なのです。
そして、もっともっと凄いのは、その会社はコンピュータのソフトを作るソフトハウスなのです。
信じられない、今でも。