護身術のうそ

2012/1/18


子供の頃大相撲をテレビで見ていて、自分でもお相撲さん相手に勝てるのではないかと思っていた。

それは、殆どの力士が立会いで双方猛然とぶつかり合うからだ。

 

闘牛士のようにうまく回り込んだり、はたいたら勝てるのではないかと妄想していたわけだ。

実際にはできるわけはない。

 

彼らが全力でぶつかり合うのは、双方拮抗した怪力や技術の持ち主だからだ。

相手が子供や子供でなくても普通の大人が相手ならあんな猛然とした攻撃などするわけがない。

 

ゆっくり立って、手加減した張り手の一発も食らわせばそれでおしまいだからた。

これは自分が子供相手に相撲をとる事を考えればすぐわかるとことだろう。

 

しかし、こういった事に気が付かない大人たちが意外に多いことに驚く。

ショーとしてのプロレスや映画の中の格闘シーンをリアリティーを持って見ている人々だ。

 

こういった物はお芝居として存在し、それはそれなりの芸の面白さや身体能力の高さに対する評価はあってしかるべきものだが、本来の格闘とは違った世界だ。

プロレスラーやブルースリーやジャッキーチェンが弱いとは言っていない。彼らの身体能力の高さは普通のレベルははるかに超えており、本物の武道家でも勝てないケースもあるかもしれない。

 

しかし、それはその人の持ってい戦闘能力の話であって、リアルファイトで映画のように戦えるわけではない。

そこのところを誤解している人は思ったより多い。

 

テレビなどで時々デモンストレーションされる護身術の類にもこうした誤解の本質を見ることができる。

相手がナイフで切りかかったり、殴ってきた場合の対処の仕方である。

 

まるで大相撲の立会いのように思い切って腕を振りかざし全力で殴りかかったり、ナイフで一突きするような動作である。

それを、ヒラリとかわしたり、うまく避けてナイフを落としたり相手の急所を攻撃して撃退するというものが多い。

 

素人相手のバラエティーということで、これ全体をエンターティンメントとして楽しむのならそれはそれで良いのだが、結構まじめなタッチでそれなりの武道の先生らしき人が解説したりしているのを見ると少々首を傾げたくなる。

 

よく考えてみると、我々空手の世界でも、基本とされる稽古や型にもおかしなものはたくさんある。

例えば空手で最もポピュラーな上段受けなどが最たるものだ。

 

まず初心者が空手を教わる時最初に習う防御方法がこれである。

相手が顔面を突いてきた時腕を上方に上げてガシッと受けるというものだ。

 

まずどこの空手道場でもこれを教えない所はないであろう。

しかし、実際の試合でこうした受けを見ることはまず無い。

 

伝統系であろうとフルコンであろうと相手の一発をこんな受けで受けてしまった日には次の瞬間がらあきになった顔面に二の矢(拳)を打ちこまれておしまいである。

受けに関しては他も大同小異であり、基本のような形で攻防が行われることは殆どない。

 

関節技の型にいたってはもっとひどい。

まずありえないような形で攻撃が行われ、それを無駄の多い動きで制して関節技に入る。

 

大体最初から真正面に大げさな動作でこれでもかという攻撃をする。

こんな好都合な攻撃を全ての暴漢がやってくれればこんなありがたいことはない。

 

じゃこうした型は意味がないのか。

そうではない。

 

この中にはいろいろ隠された本質が含まれているのであって、一見無駄なような形の中にエッセンスが詰まっている場合がある。

場合があると言ったのはそうでないものもあるからだ。

 

本当にリアルの格闘を通じて多くの人が稽古し、改良を加えられ練りに練ってそうなったものもあるが、古の人が単なる思い付きや、あるいは天才的な本人だけが可能な技をスタンダードなものとして伝えている場合も少なくないからだ。

 

型を重視する武道に多い弊害がここにある。

その型が本当に価値のあるものかどうかは稽古した一般人が実戦に効果的に使えるかどうかで決まる。

 

特に特殊な身体能力の持ち主でなくても地道に訓練を続けていけば実戦で一層の力を発揮できるようになるものでなければ意味はない。

そうなるためには実戦という実験場での実績が必要となる。

 

柔道や剣道の技や基本が優れているのは、常に実戦(ルールはあっても)で検証が積み重ねられているからだ。

それはレスリングやボクシングにも言える。

 

一方わけのわからない護身術は、リアルな検証は殆どなされていない。

暴漢はこうやって襲ってくるというステレオタイプの攻撃にこうやって防いでこうやって反撃するという硬直した型を教えるだけだ。

 

女性にハイヒールで暴漢の足を踏ませたり、慣れない金的攻撃や関節技で痴漢を撃退できると思ったら大間違いだ下手すると取り返しのつかない事態になる。

 

暴漢の実際の攻撃方法など簡単に想定できるものではない。

力の弱い者を襲うのに大相撲のような全力でぶちかましに来るような攻撃をする暴漢はまずいない。

 

握手するふりしていきなり腕を取ったり、ポケットのナイフをポケットから出さずに相手に抱きつくようにして刺そうとしたり、仲直りの不利して近づくなりいきなり殴りかかったり、こちらを無視したふりをして振り返りざまいきなりパンチをとばしてきたりリアルな暴行現場は本当に予想することは不可能だ。

 

ちなみに上記は全て私の体験である。

しかしこうして私は現在生きているのだから全て何とか対処してきたわけだが、どれ一つとして映画のように格好良く立ち回れたものはない。

 

防備のない状態でいきなり不意打ちを食らった時それに臨機応変に対処し、相手を怪我させずに制するなどと言うことは一夜漬の護身術などでできるものではない。

道場で基礎を学びレベルに応じていろんなタイフ人との対戦を重ねることで、どんな突きが有効でどんな蹴りで人は倒れるのか、どんな関節技や締め技が効くのたといった事を体で知ることになる。

 

これを一定期間積み重ねる事で新の実力となってその人は強くなっていくわけだ。

強くなったかどうかは検証を経ないことには自信につなげることはできない。

 

検証とは実際に戦ってみて相手を制することができたという実感を持てる事をいう。

こうした得た自信は強がりでも空元気でもない本物だ。

 

本当にやればやれるということを体験してこれを積み重ねてきて得られる感覚、これを自信という。
ここにはうそは全くない。

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