第4回現空研空手道大会感想 その1

2011/05/30


平成23年5月29日の第4回現空研空手道大会は3ヶ月前の東日本大震災の影響下で各道場が使えなくなるなど多くの困難を乗り越えて開催にこぎつける事ができた。

稽古、準備が不十分中で参加した全ての選手の奮闘、そして武道魂は賞賛に値するものである。

 

今年は将来の大会のオープン化向けて、ルールと審判規定をより明確化した。

現空研空手の理念を十分に反映しながら競技としての空手の要素も取り入れ、より他流派からの参戦も容易にしようというものである。

 

武道としての空手と競技としての空手は決して相反するものではない。

要は競技としての空手のルールに武道の魂を十分に反映させれば良い。

 

そのため現空研では昨年から新しいルールを作成し、今年は黒帯には主審、副審の体験もさせ、ルールの徹底化を図った。

その効果は抜群で、各会員の組手にも変化が感じられた。

 

主審、副審を体験させると、殆どの会員はその難しさに驚く。

傍で見ているのと実際に行うのとでは雲泥の差があるのだ。

 

まず断っておくが空手の経験のない者に空手の審判を行わせるのは不可能である。

他スポーツでは講習だけ受ければその競技自体の体験の全くない者でも審判になれるものがあるようだが、空手においては考えられない。

 

特にフルコン空手においては、実際に殴られ、蹴られ、その衝撃がどういうものでどのような場合に効かされるのかといった実体験がなければ不可能だと断言する。

そうした実体験が豊富(少なくとも10年以上)な審判でなければ、まず第一に選手が危険にさらされる。

 

フルコンタクトルールでの試合においては選手の命を握るのは主審である。

主審の「止め」のコールが無ければ攻撃は止める必要はないからだ。

 

もちろん現空研は非常事態に備えて全てのケースでも選手の安全が保たれるようにルールが作られている。

現空研ルールにどこかの政府の言い訳用語のような「想定外」はない。

 

そのルールの究極は武士道であり、具体的には「残心」に行き着くのであるがここでは深入りしない。

 

今回は武士道に沿ったルール作りとその実現に向かった実験的な大会でもあった。

この1,2ヶ月の稽古は組手の時間は全て審判未経験者に審判の体験をさせた。

 

それは短期的には現空研大会に向けてのものだったが長期的には武道としての空手を深く理解してもらうためだ。

そして実際はどうだったか。

 

参加選手はベテランが多く、その多くは良識ある社会人でもあるし、事前の説明や体験も道場に来れた者は不足はなかったはずである。

一方審判に関しては十分な説明や打ち合わせができていたとは言いがたい。

 

もちろんここ数ヶ月は可能な限り徹底的に講習や説明を試みた。

しかし、震災の影響でなかなか道場が開けなかったり、業務で来れなかったり(警察、消防、自衛隊関係者)で直前の情報交換が少なかった。

 

特に、旧拳正会時代の師範たちは、防具なし、拳サポなし、すね当てなし、あらゆるサポータを着用せずにガチンコで稽古を行い、試合を行ってきた者である。

試合では基本的に相手が倒れない限り技有、一本は取らない時代に選手だった者だ。

 

だから現空研の新ルール「有効」の概念があまりない。

もちろん口頭では何度も説明したが体に染み付いた拳正会ルールはなかなか簡単には修正できないのだ。

 

その矛盾が今回の試合でも散見された。

おそらく自分では取れたと思った技を取ってもらえなかったという感想を持った選手もいたのではないかと思う。

 

武道の立場に強く立てばその厳しい審判は正しく、取ってもらえないと思う感想は甘いと言わざるを得ない。
しかし、「相手を倒せなければ後は皆同じ」では微妙な優劣の差を競う、つまり競技としての空手の成立が難しくなってしまう。

 

これはルールを作成した私も一番悩んでいる点であり、現時点でのギリギリの妥協の産物がこの新ルールなのだ。

こうした難しい課題は抱えているものの、今回各審判はこの難しい判定を精一杯行ってくれたし、選手も最善を尽くし、全ての面で進化した良い大会だったと自負している。

 

将来に向けて、武道を根幹とした現空研の魂を多くの人に伝え、そして実践できるような稽古方法、ルールを整備し、普遍的な大会に育てて行きたいと思っている。

 

続く

 

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