ヒット カウンタ

フランス大使館のピアノコンサート

先週(平成17年4月18日)フランス大使館でのピアノコンサートに招待された。

音楽新年会の主催者、謎の音楽プロデューサー、マキちゃんの紹介でこの大変興味深いコンサートを拝聴させていただける幸運を得たというのが真相であるが。
このコンサートは、仙台国際音楽コンクールの優勝者によるフランス大使公邸での私的なコンサートということで私はよく意味もわからないまま出席させていただいたのである。

仙台国際音楽コンクールに賛同する団体としてフランス大使館があり、フランス大使賞という賞を与えるということである。
この賞の受賞者は 仙台市のホームページによると、「駐日フランス大使官邸における特別コンサート(要人を招き晩餐会も行われる権威あるコンサート)出演の機会を提供する。」とのことであった。

今回はピアノ部門の優勝者タン・シヤオタン(中国)氏がこの賞も受賞され、このコンサートが開かれたのである。
行ってみると、フランス大使は勿論このコンクールの運営をされている外山雄三氏ご夫妻や各国の大使、著名な音楽界の方々が列席されていた。

総勢30名程度であっただろうか。
フランス大使館の中に入ったのは初めてである。

場所は南麻布の小高い傾斜地にあり、敷地はかなりの広さである。
正門で招待状のチェックを受けて中に入ると一面芝生の広い玄関前が目に入る。

庭園の造りは純日本風で、近代的なアメリカ大使館とはまったく様相が異なる。
中に入るとこれまた日本風の高級そうな調度品が飾ってあり、壁には巨大な抽象画がかけてある。

応接室ではまだ数人の方しかおられず会話はフランス語か英語。
大きな移動式の扉(壁)で連なっているサロン風の部屋が今回のコンサートの場所らしい。


コンサートが行われたサロン

そこにはちょっとくたびれたような小型のスタインウエイ(多分)が置かれていた。

しばらくして皆集まったころピアノを囲むように配置された椅子のあるサロンに案内された。
やがて今夜の主役タン・シヤオタン氏が登場する。

フランス大使の挨拶がはじまる。
もちろんフランス語。ぜんぜんわからない。

しかし、心配はいらない。フランス語、日本語ともに流暢な通訳がちゃんと訳してくれる。
そして外山雄三氏の挨拶。

彼の挨拶は通訳を意識した上手な話し方だった。
きっとご自身でもフランス語を喋れるのではないだろうか。

そしてタン・シヤオタン氏の演奏がはじまった。小さな手は鍵盤の上を跳ねるように、しかし、しっかりとしたテクニックによって音が組み立てられていった。

演奏中ピアノのふたはなぜか閉じられたままであり、また椅子の高さが異様に低いのも後からマキちゃんの指摘もあって気になるところであった。

私とマキちゃんは前から2列目の最高の場所で聴いていたのだが最初のモーツァルトではピアノ(弱音)の音を聴いた瞬間私は緊張感に襲われてしまった。

ハンマーのフェルトが古くて硬いのか、あるいは弦に添った溝でも掘られてしまったのか、これで粒を揃えて弱音を出すのは不可能ではないかと思うほどある種の歴史を感じさせるピアノだった。
私の腕なら、こんな弱い繊細な音をあれほど粒を揃えてこのピアノで弾くなんて1000年かけても出来ないであろう。
フランス大使館でも、普段はこのピアノはあまり使われていないのかもしれない。
きっとこんな名手に触られてピアノもびっくりしたであろう。

でも弘法筆を選ばずとはこういうことを言うのかもしれない。
あんなに緊張感のただよう限界値を超えたような弱音からフォルテ(強音)のレンマ(距離)のあることといったら。

ダイナミックレンジの広さは音楽のスケールを大きなものにしてくれるのだが、目の前の小さな手とのギャップが余計このことを強調させる結果になった。
きっとこの部屋の大きさではピアノのふたを開ける必要はないと判断したのだろう。

私は彼の演奏は初めて聴くので、えらそうに言えないのだが、明らかに神経質なペダリングの多用はこの楽器が決して満足できるコンディションではないということの証拠のような気がしてならなかった。

でも音楽に限らないのだが一流の人はどんな凄いことをやっても、それが楽にできてしまう印象がある。
弱音のときあれほど私に緊張感を与えた本人だろうかと思えるほど、速いパッセージやフォルテでたたみかける場面になるほど逆に安心感を与えてくれるところが一流の一流たる所以だろう。

この人はジャズをやらせても、それが採譜してあるかぎりオリジナルの演奏者でも二度と同じには弾けない超絶技巧的なフレーズでもシラッと弾いてしまいそうだ。
ただ、空手で言えば重いパンチではなく切れのあるパンチなのでフルコン向きではない。

あ、ピアノにフルコンはないか。

演奏のあと出た、ワインはさすがに美味かった。
銘柄にうといのでどれほどのものかはわからないが、かなりの量を飲んでしまった。



酒が入るにつれマキちゃんやそこで紹介された友人の女性の方にも面白い話がいろいろ聞けた。
日本交響楽協会の彼女Yatabeさんは私のことをご存知だった。


Yatabeさんとマキちゃん

お正月のパーティーでご一緒していたのである。
あと、ピアノレッスン書の老舗である「レッスンの友」の編集長の高瀬さんともお話ができた。

高瀬さんとはここがフランス大使館でゲストが中国人ということもあり音楽以外の国際情勢の話でもりあがる。
日本語だと話がはずむなあ。
でも、回りのフランス人は皆日本語はわかっていたはずだ。

マキちゃんはイタリア語や英語も自在だしYatabeさんはドイツ語の通訳もできる程なので誰が来ても会話にはこまらない。



程よくお酒が回ったところで、マキちゃんがタン・シヤオタン氏をつかまえていろいろ質問しだした。
面白いので側で聞いていると、彼は「僕は英語があまりしゃべれません」なんて流暢な英語で喋っている。

私のことをコンピュータ技術者でアマチュアだけどジャズピアノの名人なんて過大に紹介されてしまった。


タン・シヤオタン氏と記念撮影  座ってみると確かに低い椅子だ

そしてマキちゃんは、なぜあんなに椅子を低くして弾いたのかなんて聞いていた。

彼はリハーサルの時、椅子がガタガタで安定せず、もう一つ別の椅子を使おうとしたがそれはもっと酷かった、それで演奏の途中激しい動きの時これでは踏ん張れないので、一番下まで下ろして弾いたとのことだった。


流暢な英語で低い椅子の真相を問い詰めるまきチャ

それであんなベッタンコな感じで弾いていた理由がわかった。
でもグレングールドなんかもあんな感じで弾いていたので私は彼のスタイルなのかなと思っていたのだが、マキちゃんは真相を問いただしてしまった。
フランス大使はこのことをご存知だったのかなあ。

最後にかなり長い拍手のコールがあったのだが彼がアンコールに応じなかった理由はこれだったのかもしれない。

フランス大使館を後にして盛り上がった我々(私とマキちゃんとYatabeさん)は飲み直すことにした。
Yatabeさんの事務所が恵比寿にあり、その近辺に美味い店があるということで早速彼女の行きつけの焼酎専門店へタクシーで直行。

ワイン漬けの胃袋には焼酎が新鮮だった。
酒が入るとすぐ日本文化論をぶちたくなるのが私の悪い癖だ。

さっそく先日のNHKの「歴史はその時動いた」で取り上げた「元寇」の批判からはいった。
とくに美女二人が相手となると、いつも道場でゴツイ顔ばかり見ている身としては余計ボルテージが上がってしまう。

しかし女の子を相手にウンチクをたれている親父を想像してもらっては困る。
この二人こんな話ではびくともしない博識の持ち主でガンガン鋭いカウンターを放ってくるのである。

セイロン島の、serendipity、japanityの話は本当に感心したというか教えられてしまった。
(この話とてもおもしろく紹介したいのだけどここで書くのは胸糞悪いので反省会の時の話にする)

と言っても実はフランス大使館を出た頃からあまり記憶がない。
焼酎の店もどこだったのか全然覚えていない。

こうして私にとって劇的な一日が終わった。

仙台という都市がこうしたユニークな国際音楽コンクールを行っていること。
そしてフランス大使館がこのような形で後援をしていること。
そして、アジアの音楽家が世界的に羽ばたいていること。
ワインは美味いが焼酎も美味いということ。
いろいろ勉強になった。

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