2009/05/16
現空研では独特の猿臂の教え方をしている。
猿臂(えんぴ)とは肘打ち(ひじうち)のことである。
ムエタイ(キックボクシング)では、もっともKOを取りやすい技として多用されている。
昔、日本にムエタイがキックボクシングとしてはやりはじめた頃、多くの日本人選手がこの技に悩まされた。
もちろん空手にもこうした名称があるくらいだから、技として認識されていたことは間違いない。
しかし、その実効性の認識と技としての完成度はムエタイには遠く及ばなかった。
私は、子供の頃からこの「ひじうち」の威力は十分認識していた。
というのは私の子供の頃は遊びと言えば、野球と相撲くらいしかなく、特に小学生にとっては道具の必要な野球は高嶺の花で、広っぱさえあればすぐ始められ、二人いれば出来る相撲が一番手軽で人気があったのである。
その相撲であるが、子供の相撲は一歩間違えばすぐ喧嘩になる。
最初は相撲で始まってもいつの間にか取っ組み合いになり(いわゆるプロレスゴッコ)気合が入ると喧嘩に発展することも珍しくなかった。
しかし、いくら喧嘩とはいっても、出発点は相撲であり、相手も元々は仲の良い友達なのでいきなり殴りあいにはならない。
最初は相撲の技に限定されていたのが、ツッパリを顔面に食らわせ、バンチだか「のどわ」だかきわどい技の応酬になったりする。
さすがに「張り手」は最終章での技で、これの応酬となると互いの宣戦布告の交換と相成る。
しかし、ここまでくるのはやはり少ない。
多いのは相撲と喧嘩の中間のグレーゾーンだ。
そのとき、つっばりのつもりで出した腕が空をきり、「かちあげ」のような体勢で肘が相手の顔面を捉えることがある。
もちろん、最初からこれを狙うということはまずない。
というより狙ってもなかなかできない。
喉や肩のあたりを突っ張ろうと思って相手の「いなし」などで空を切ったとき、結果として「肘打ち」になる、というのが真相だ。
しかし、この偶然の産物の効き目は凄い。
きれいに入るとまずそこで試合終了になる。
私は、子供の頃の経験(その後中学生や高校生の頃の不純な喧嘩も含めて)から、この猿臂(肘打ち)の効果は十分認識していた。
だからムエタイの選手たちの技術を見たときは我が意を得たりという心境だった。
しかし、私はムエタイ式の肘打ちにもある種の違和感を持っていた。
私が編み出した方法とは明らかに異なる技術だったからだ。
その理由はすぐ分かった。
それはムエタイの選手が使うグローブに秘密がある。
あの大きなグローブが手に付いていれば私の秘技は使いにくい。
現空研の会員は現空研式の猿臂の方法は耳にたこができるほど聞かされているので、この意味はすぐ分かるだろう。
この方法は魔法の技術である。
誰もが一瞬にして猿臂の天才になれる方法だ。
実は、今日テレビのニュースで興味深い話を聞いた。
一昨日大相撲夏場13日目で横綱朝青龍が「肘打ち」で相手を倒したというのだ。
ここでは解説者が朝青龍に批判的な意味合いでこの話をしていたが、これは「かちあげ」であって意図的な「肘打ち」ではない。
良い写真はないかとネットで探すとあったあった。
日刊スポーツのサイトに絶妙なタンミングの写真と解説があったので、ここに転載させて頂く。(もし著作権等で不都合があれば関係者の方ご連絡下さい。速やかに削除いたします)
左朝青龍の猿臂(?)が炸裂
この写真を見ると、私が常日頃言っている正しい「猿臂」の打ち方そのものであることが理解できると思う。
私が子供の頃から体で覚え、そして空手の技術と融合させた魔法の方法そのものがここに凝縮されている。
私は朝青龍は強いと思う。
それは、相撲取りという範疇を越えた格闘者としての強さだ。
彼は、前日敗戦の後、母親のように慕っていた師匠高砂親方の母が亡くなった事を知り、審判として座っている師匠のためにも何としても勝ちたいと思って土俵に上がったと語っている。
その勝ちたいと思う純粋な気持ちが相撲の流れの中でこういう形となって現れたのだと思う。
猿臂は当てようと思うとあたらない。
これは猿臂だけに限らない。