大事の思案は軽くすべし

2016/02/27


大事の思案は軽くすべし。

これは武士道を説いた葉隠の一節だ。

 

仕事や人生において重要な事はグズグス考えずに直ぐに決断せよ、という教えだ。

現代に置き換えると就職や転職あるいは結婚や離婚、家や車などの大きな買い物などが「大事」にあたるだろうか。

 

武道の試合も昔なら命をかけることもある「大事」であろう。

今の世では命をかけて戦うような状況はめったにないだろうが、仮に道場の稽古試合であっても命をかけた実戦のシミュレーションという側面は常にある。

 

やはり試合はその瞬間においては「大事」なのだ。

だから真剣にもなるし慎重にもなる。

 

人間というものは不思議なもので、慎重になればなるだけ逆にミスが増えたり思わぬ失態を演じてしまうことが多い。

葉隠はこうした人の矛盾した節理を理解したうえであえて「軽く」という言葉で平常心を教えたのであろう。

 

ラグビーの五郎丸選手で有名になったルーティーンだが、これも平常心を崩さないための一つの工夫である。

武士の切腹における形式化した所作も最後に無様な姿をさらさないためのルーティーンであったかもしれない。

 

しかし、仕事の様々な状況の中では動作や決断を一定のルーティーンにするのは難しい。

これを上手に解決する手段として葉隠は「軽くすべし」という誰でも理解し実行できる言葉で表した。

 

私の今年(平成28年)のキーワードは「笑顔」である。

自分自身をもっと笑顔でいられるようにしようという目標でもあるが、今日は別の意味でこれに振れたい。

 

「大事の思案は軽くすべし」と言われても具体的にどうすれば良いのかなかなか難しい。

私はこれこ行うハウツウとして「笑顔」が頭に浮かんだ。

 

人は迷ったり、悩んだり、苦慮しているとき「笑顔」にはなかなかなれない。

「笑顔」というのは楽しい時とか面白い、可笑しい、心が軽い時に自然とでるものだ。

 

つまり「軽い」時、結果して「笑顔」になる。

しかし人間とは面白いのもので、結果としての「笑顔」であるが、無理やり「笑顔」を作ってみるとあら不思議何となく心が軽くなってくるのだ。

 

悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいという説を唱えた心理学者がいた。

それの「笑い」バージョンだ。

 

下の写真を見て欲しい。

女子部のIriyama初段とNito三段の組手だ。

 

Iriyama初段は格上のNito三段に対して常に緊張した状態にある。

なかなか手が出ない。

 

意を決して攻撃しても余裕のあるNito三段のカウンターをもらってしまう。

何とかしなければという気持ちのあせりからますます動きが固くなり、作戦が頭の中で空回りしはじめる。

 

カウンター攻撃を貰うIriyama初段(左)

 

 

そこで、私はまず「頭の中を空っぽにしろ」とアドバイスした。

ああしよう、こう攻めようと頭だけで考えれば、考えが堂々巡りになり結果として固まってしまう。

 

何も考えずに筋肉に任せる、そうすれば今まで培ってきた技や技術が反射として動きに出る。

後は、それに身を任せれば自ずから道は開けて来るのだ。

 

頭を空っぽにする手段に「笑い」がある。

笑いながら淡々と筋肉に任せて攻撃をするのだ。

 

 

頭を空っぽにする。

 

笑いながら攻撃する。攻撃される方も気持ちが悪い。

 

このアドバイスを受けたIriyama初段の動きが下の写真だ。

この生き生きとした動き。

 

一皮むけた瞬間だ。

流石のNito三段がタジタジになっているのが良くわかる。

 

もちろん、これで全てが解決するわけではない。

しかし万事休すという状況に陥ったとき、「 大事の思案は軽くすべし」という格言と「笑い」という奥の手を思い出してほしい。

 

 

笑いながらの一撃。確かに怖い。

 

後は筋肉に任せた反射的な動きがスムーズな連打につながって行く。

 

 

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