2021/02/04
始めに
2021/02/04現在、東京は非常事態宣言の真っ最中です。
本日の日本全国の感染者は2576人、死者は104人です。
これを多いと見るのか否かは、比較対象や立場で異なってきます。
比較対象とは例えば他の疾病(インフルエンザや肺炎)との比較。
また医学的な立場で見るか政治、社会学的な立場で見るかといった問題です。
私たち現空研は、昨年初めからその活動において大きな影響を受けてきましたし、現在もその真っ最中にいます。
道場の使用禁止や現空研大会の中止要請など細々した事も含めれば数十回の勧告、要請、指示を受けてきました。
当初から私は、マスコミが報じる内容や、様々な組織の対応に大きな疑問を抱いていました。
しかし、これから述べる事は、それらを批判するものではありませんし、こうあるべきだと主張するものでもありません。
国や地方自治体、その他の関係団体の施策や行動を批判するに足る資料も情報も持ち合わせていない私は、実際に起きた事とその時々の感想をありのまま記すことで、将来このコラムを見て、あの当時の当事者はこんなことを考えていたのか、あるいは考えていた人がいたのか、と皆様が多様な状況に陥った時に取るべき行動を判断する一助になればと思い記することにしました。
発端
私(多分多くの日本人)が、最初にこの騒動に接したきっかけは、大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」における集団感染の2月3日マスコミ報道だったと思います。
実際には1月6日に中国武漢で原因不明の肺炎で厚生省が注意喚起しています。(後で知りました)
まあ殆どの人が2月初めにはこの情報を得たわけです。
現空研ホームページ連絡事項を読み返してみると、1月16日に私は自動車免許の更新で、たまたまジャーナリストの鳥越さんとご一緒し、意気投合していろんなお話をしたのですが、コロナの話をした記憶がありません。
それくらいその時期は関心の薄いというかもっと別の関心事があったとも言えます。
2月8日は柳龍拳(合気道家、気功師)氏と戦い勝利した事で有名な総合格闘家岩倉豪さんが世田谷道場に出稽古に来られ、皆と組手を行いました。(写真)
この時はまだ誰もマスクをしていません。
しかし2月28日には千葉県我孫子市の教育委員会から
新型コロナウイルス感染症拡大防止に係る市内小中学校の臨時休校に伴い、令和2年3月2日(月)から
令和2年3月23日(月)までの期間学校施設の使用を中止いたします。
という通達があり、
3月1日は世田谷区から
小中学校の全ての施設が3月2日から2週間使用中止という通達がありました。
最初の頃は2週間くらいの中止要請だったのです。
しかし3月15日には再度
新型コロナウイルスの影響で道場施設の使用中止期間が延期される通達がありました。
3月26日は次の記述が見られます。
我孫子は4月12日まで施設の使用禁止が延期されました。
世田谷は4月5日まで小中学校の体育館、格技室等の施設の使用禁止が延期されました。
3月後半には東京都から「お急ぎでない夜間の外出を控える」「週末の不要不急の外出は控える」といった要請が出ております。
現空研では自主的に次の事項を実施することにしました。
入室の際の手のアルコール消毒。
マスクの着用。
気合の禁止。
また、濃厚接触をさけるため、関節技、乱撃、座学を中心に行う。
退出時も手のアルコール消毒を行う
4月に入っても状況は収まるどころかマスコミはより深刻なニュースを続けて発信していくようになります。
毎年ゴールデンウィークに合わせて行ってきた現空研大会は予定通り5月5日に行うことにしました。
世田谷区総合運動場第一武道場は、使用制限はなく予約が取れたからです。
この当時は一月もあれば事態は収まっているだろうと大半の人たちや自治体も思っていたのです。
しかし間もなく世田谷区から使用禁止の通達がきます。
そして発表された非常事態宣言に伴って公共施設の使用禁止が5月末日まで延期されることになりました。
やむなく現空研大会は6月13日に延期することになりました。
このころから一般に状況の深刻度が大きくなってきたように記憶しています。
各道場が使えなくなり、稽古も思うようにできなくなったのですが、その対策の一環として私が仕事で使っているリモート会議のツールZoomを使った稽古・指導ができないか4月16日に実験的に行ってみました。
その後何回かテストを繰り返し、空手の稽古に使用できる感触を得て、試行錯誤の末、現在まで続ける事になりました。
その後何度も、道場の使用が許可されたり、禁止されたりが繰り返されています。
現空研大会は三度の延期を経てとうとう中止せざるを得ない状況となりました。
条件付きで使用許可は下りたのですがその条件を守ると、とても大会を実施できるようなものではありませんでした。
例えば参加人数の制限を20名以下にせよとか、無観客どころか、出場選手の人数にも遠く及びません。
ただ日常の稽古に関しては一部の施設では条件付きで使用がゆるされているところもありありがたく思っていました。
我々にとって一番大きな問題は、通達や指示が突然来ることです。
そしてその通達が統一が取れていないことです。
例えば、自治体や統括団体からは使用許可がおりても、個々の学校で体育館の使用禁止が言い渡されたり、逆の場合もありました。
指示を出す現場の立場になれば、国からの要請や関係機関などからの指示で右往左往している状況は理解できますが、末端部ではあらゆる予定や計画が立てられない苦しさと実害が重くのしかかってくるのです。
これは現在もいろいろ問題になっている「Go To Eatキャンペーン」も同じというかもっと深刻な状況を生みました。
「Go To
Eatキャンペーン」自体の良し悪しよりも、その実行や中止が突然行われるという事が関係者にとって一番つらいのです。
最初に述べたように現空研でも会場の予約やキャンセルを繰り返される結果になり、このため費やした時間やエネルギーは金銭に換算できないものがありました。
「Go To Eatキャンペーン」で振り回された業界の方々の苦労は更なるものがあるでしょう。
なぜ死者の数が報道されないのか
私は新型コロナがマスコミで取りざたされたころから疑問に思っている事がありました。
その当時から道場で何度も会員にも言ってきた事ですが、
感染者の数は毎日のようにニュースで取り上げられるのに、死者の数が殆ど発表されないという事実です。
現在はネットで様々な機関が発表するようになりましたが、当初は死者の数を調べるのは大変でした。
私が見つけた唯一の的確な情報を流してくれていたのは札幌医科大学のホームページだけでした。
現在も「人口あたりの新型コロナウイルス死者数の推移【世界・国別】という表題で貴重なデータとグラフを提供していただいています。
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death
ここのデータを時々覗いていて不思議な事に気が付きました。
2月から11月ころまで新型コロナによる1日あたりの死者の人数が日本では増えて行かなかった事です。
殆どが一日数名でしかありません。
感染者数の増加に関わらずです。
感染者の数は検査した人数によるので私は当初からマスコミが騒ぐことに疑問を持っていました。
サンプルの母数が違っていては感染者の推移は殆ど意味がないからです。
死者の数が状況を把握するには一番確度が高いと思っていたのですが、マスコミは感染者の数はこれでもかと報道しますが、死者の数はめったに報道されなかったのです。
このことは道場で何度も皆さま言いましたから覚えておられる方も多いでしょう。
マスコミも商売ですから売れなければ食っていけません。
昨今のテレビ業界はNHKですら視聴率を上げることに血眼になっています。
なるべくセンセーショナルにしなければならない宿命を構造的に持っています。
新型コロナウィルスは事実、厄介で恐ろしい物です。
しかし、連日、海外の悲惨な状況をこれでもかというほどテレビで放映し続けることが必要だったでしょうか。
死者の数でいえばインフルエンザでは日本で毎年1万人(※)、肺炎の死者は10万人くらいいます。
※インフルエンザの年間死者数ですが、例えば2018年の厚生労働省が発表している人口動態統計によると3325人です。しかしこれはインフルエンザが直接的に死の原因となった人です。世界的にはWHOが提唱している、羅漢している慢性疾患などがインフルエンザによって悪化して死亡した人も加えた数字(超過死亡概念)
と言われる数値で、アメリカなどが発表している死亡者数もこの数値です。
この数値を採用すると日本ではだいたい年間1万人程度がインフルエンザで亡くなっているとされています。
日本で発表される新型コロナによる死者のカウントも自治体によって差はありますが概ね超過死亡概念に近いものなので比較するにはこちらの数字が妥当だと思われます。
この二つだけで1日300名くらいの方が亡くなっているわけです。
新型コロナによる死者の100倍にもなるのです。
それにインフルエンザを季節性なので、その期間の一日当たりの死者はもっと増えるはずです。
それともう一つ新型コロナの死者のカウント数にも疑問があります。
新型コロナで死亡する人は高齢者や持病をもった人が多いという報道があります。
一方、例えば末期ガンの患者の方や重い心臓病の方などが生前コロナ検査で陽性がでていたらコロナ死者としてカンウトされているらしいのです。(6月18日付厚生労働省発表)
つまり死亡の主たる原因が新型コロナでなくともコロナによる死亡者としてカウントされている可能性があるということです。
実態としての新型コロナによる死亡者数はもっと少ないかもしれません。
これをもって新型コロナは怖くないと主張するつもりはありません。
しかし、連日マスコミで報道され続けている状況は私は異常だと感じていました。
一旦こうしたコロナ恐怖症のような状況が定着してくるとあちこちで魔女狩りのような事件が発生しはじめました。
東京ナンバーの車で地方に行くと、駐車中の車のバックミラーを壊されたり、窓に落書きされたりする事件が頻発しました。
病院関係者の子供が学校でいじめにあうといった類の事件もありました。
しかしこうした事件も我々は殆どマスコミ報道で知ることなのでそれが客観的にどの程度起きているのかはわかりません。
私は道場で自分の家族や近所の人、会社や学校でコロナに感染したという知人はいるかといった質問を何度もしましたが、夏ころまでは誰一人身近に感染者がいるといった話は誰一人聞くことがありませんでした。年末から年明けにかけてやっと数名、会社に感染者が出ましたというような話をお一人から聞きました。
その程度で、私自身も親戚にも同窓会でも取引先の会社でも誰一人感染者の話は現在に至るまで聞いておりません。
自分がそうだから皆もそうだろうとは言いませんが、インフルエンザが流行っているときは、自分も含めて周りに罹っている人は結構います。(今年は少ないらしいですが)
確かに新型コロナは怖い病気ではありますが、世の中にはもっともっと怖い病気はやまのようにあります。
新型コロナは強い感染力を持った質の悪い病気ではありますが、その実態は科学的、統計的に正しく評価判断されるべきでやたらと恐怖感をあおるようなマスコミ報道とそれによって右往左往している政府や自治体の動きには強い懸念を持たざるを得ません。
感染者や死者の数がアメリカと比較して桁違いに少ない日本でなぜ医療崩壊の危機が迫るのか。
現時点の日本の人口あたりの感染者や死者は、どの統計をみても桁違いでアメリカより少ないです。
それなのに、医療崩壊の危機が連日報道されています。
こんなに感染者が少ないのに日本は医療崩壊直前だというのであれば、アメリカやヨーロッパは現在は末期的な地獄図のような光景が展開されているのでしょうか。
半年くらい前は、死体を冷凍車に詰めたような映像がテレビやネットであふれていましたが、最近はあまり目にしなくなりました。
死者は当時より圧倒的に増えているにも関わらずです。
この件をネットで調べると、様々な説を見る事ができ、局所的には説得力はあるのですが、全体像として腑に落ちる感じがありません。
1月現在人口あたりの感染者は6倍のニューヨークでは医療崩壊どころか、病床も十分な余裕があるということが報道されています。
https://www.youtube.com/watch?v=oWTOMCTRkO8
なぜ、日本とアメリカでこんな逆転現象が起きているのでしょうか。
厚生労働省の元官僚の方にこんな話を伺ったことがあります。
アメリカにはCDCという疾病対策センターがありこれは世界最強の機関であると。
アメリカは感染症対策は国の安全保障という捉え方をしており、細菌戦争やバイオテロに備えて医師を訓練したり、シミュレーションを繰り返しているというのです。
つまり疾病も戦争のような国家の非常時とした対応が研究、実施されており命令系統その他の伝達や行動規範が作られているというのです。
こうした背景が、緊急時の指揮系統の一貫性や指示、命令、行動の迅速性を生み、結果として日米の差を生んだのかもしれません。
一方日本は、強権で命令するというシステムではありません。
では、この後医療崩壊を起こすのでしょうか?
マスコミでは現在医療現場は相当深刻な状況だそうです。
現場で戦っておられる医師や周りのスタッフの方のご苦労は私の想像をはるかに超えるものがあり、大変な危機感をお持ちである事を十分承知の上であえて言います。
恐らく医療崩壊は起きないと思っています。
なぜ起きないか、その理由をここで書くのはまだ時期ではないと思っていますので、興味のある方には道場でお話したいと思います。
結論から言いますと、
今回の新型コロナ禍はワクチンの接種が進む事により急激に解消していくと私は思っております。
一旦解決すると、マスコミは何事も無かったかのように新型コロナ関係の話題からは離れていくでしょう。
新型コロナで亡くなった方やご家族、友人の方は大変な悲しみの中でお過ごしでしょうが、私も家族や友人を無くして大きな悲しみを何度も体験しました。
その悲しみや落胆はコロナであってもなくても同じです。
恐らく来年の今頃は全く違った話題に主役を譲っているはずです。
私は、現在でも福島の原発の処理(※) や予想されている大地震の方がはるかに深刻で大きな問題であると思っています。
※私はいわゆる原発反対論者ではありません。日本だけでなく世界を含めた電力事情を考えると、化石燃料の消費問題や再生可能エネルギーや脱炭素化に対する幻想も含めて根本的に考察しなければならない重大な問題が山のようにあります。
私は時間をかけて原発を少なくしていく事が現在最も合理的ではないかと考えていますが、将来はこうしたら良いと思う具体的なイメージはできていません。