久しぶりに高校時代の悪友、他那架と飲んだ。
我々の母校は修猷館という当時九州一の名門校である。
しかるに我々はその中で最悪の部類に入る出来損ないの生徒たちであった。
とにかく喧嘩をよくした。
喧嘩は同級生の場合も少しはあったが、大半は他校の生徒とのものだった。
昼休みに西新町という学校がある地区の商店街に飯を食いにでかける。
そして、パチンコ屋に入ったり、きれいなオネェチャンのいる店(といっても高校生が入れる程度の食い物屋)で、可能なかぎりの背伸びをしながらツッパって喜んでいるのである。
そういう所には他の学校の似たようなヤツが同じように背伸びしてタムロしているのでもめごとが起きないほうが珍しい。
今考えるとかわいいものだが、その当時はいっぱしの悪のつもりでいた。
我々のグループは、穂師野というラグビー部のキャプテンをやっていたゴリラのような男と他那架それに私が中心でそこいらを徘徊していたのである。
我々が旧交を温める(なんて風流なものじゃないが)ときに必ず話題になる喧嘩の話がある。
あるとき、例のごとく授業をさぼって西新の町へ繰り出したのである。
メンバーはいつもの3人にあと2、3人が加わって5,6人のグループであった。
そして、いつもの店(店の名前はわすれた)。隣りの店の看板に ”人生-酒=0” と書いてあったことだけはよく覚えている。
そこで、いつものようにつっぱっていたら、隣のボックスに生意気そうな同じ位の人数の高校生のグループがいる。
帽子をみると(当時の高校生はかならず学生帽をかぶっていた)となりの西南高校の学生である。
西南高校はキリスト教系の学校で優秀ではあるがどちらかというと大人しい生徒が多いという評判の学校である。
しかし、中には我々のようなできそこないがいるというのはどこの学校でも同じだ。
まず、こいつらがタバコを喫いだした。
我々の当時は、高校生が人前でどうどうとタバコを喫うということはよほどの不良でないかぎりやることではなかった。
しかし、やつらはそのよほどの不良であるので(当然我々もおなじようなものだが)、我々を挑発する意味もあって我々に煙を吹きかけてきた。
「高校生がこげんなところでタバコばすうたらいかんっちゃないとや」
私が言ったのか他那架が言ったのか覚えていない。
「はいそうです。すみません」なんて言う殊勝なやつらが昼間から学校さぼってこんなところでトグロを巻いているわけがない。
「なんや-!!」ってな言葉の応酬がはじまった。
とはいえ、勉強では自信がなくてもこと喧嘩にかけては、誰にも負けないと自信たっぷりの我々3人(今から見るとたいしたことはなかったのだか)には、余裕があった。
つまり、いいかもだと思っていたわけである。
と、そこにガラリと戸を開けて入ってきた、肩幅のおおきな筋肉質の男。
「なんばしよっとや」というヤツの服を見ると西南大学の襟マーク。
いかにも運動部の所属ですといわんばかりの真っ黒に日焼けしたごっつい顔。
「まずい」・・・・・・・・
これから裏修猷館史3大事件の一つに数えられる修猷館対西南大学の大乱闘がはじまるのである。
次回につづく
※この話は表、裏はじめいくつかのバージョンがあり、そのどれもがまことしやかに語られているが、じつはそのどれもが正しくない、ここに当事者の一人である私がその真相を明かそうと思うのである。