Hisinuma君は栃木から現空研の道場に通っています。
最初に見学に来た時、栃木からでも入会は可能でしょうか、ときかれました。
もちろん、現空研としては問題はありません。
世田谷道場にも栃木から通っている方がいましたし、神奈川県や静岡県の会員のかたもいますが、やはり遠方の方はやはり大変です。
時間的な苦労もありますが、交通費もかかります。
しかし彼は、熱心でした。
月一度という変則的な稽古ですが許可しました。
一つには、彼にはボクシングという下地がありトレーニングのなんたるかを既に知っていた事、それと武道に対する並々ならぬ熱意を感じたからです。
彼は職業は消防士で日常でのトレーニングもあって基礎体力は抜群でした。
そして現空研にも何人かいるボクシング経験者特有のスピードのあるストレートとリズム感、それに打撃慣れは当然空手にも生かされます。
私は、彼からも質問を受けましたが、彼のボクシングの動きは無理に矯正しない方針でした。
もちろん空手の基礎、特に蹴り技に対しては基本からみっちり教えましたが、組手の構成はまず彼の本能にまかせる方針でした。
細かい注意は組手のつど指摘していきます。
彼は、自分の空手スタイルを順調に創り上げていきましたが、彼自身が述べているように茶帯の時期一時迷いが見えました。
私から見るとそれは、接近戦における上級者の巧みな蹴り技への対応です。
ボクシングではありえない接近戦からの突き、蹴りを交えた連続攻撃で、彼は空手の奥深さを感じたのだと思います。
現在は、彼はそうした空手の技術をすごいスピードで吸収しています。
これが身につき、現空研特有の脱力した連続攻撃、圧倒的な破壊力を獲得したら、彼の持つボクシング技術がさらに大きな武器として彼の空手の厚みを増し飛躍的な向上をする事は間違いありません。
今回の10人組手はその組み合わせが大変過酷なものとなりましたが、これを見事に完遂した彼にとっては生涯にわたる大きな財産になるでしょう。
平成18年10月12日
Hisinuma 初段
消防官
栃木県 在住
この度、10人組手を完遂させて頂き、私などに、このような体験談を公開させて頂ける機会を与えてくださった先生に、大変感謝致します。
ありがとうございました。
少々長くなってしまって、読んでくださる方には大変お手数おかけしてしまうと思いますが、どうかよろしくお願いします。
まずは、自分が現代空手道研究会へ入会を決意した動機から述べさせて頂きたいと思います。
自分は栃木から、月一度の参加を目標に、現代空手道研究会に通わせて頂いています。
せめて月一度でも良いから、栃木から我孫子へ通いたいと思った理由は、まず、自分の仕事に理由があります。
公益の為に、自分の全社会人生活を捧げたいと思い、人を救うというこの職業を選びましたが、自分の度胸のなさに悔し涙を流す日々が続きました。
現場だけでなく、人間関係もそうです。
特に現場には、まずは勇気が必要でした。
元々、臆病だった自分に何か自信になるものが欲しい、現場に威風堂々と向き合える勇気、度胸になるものが欲しいと思い、弱い自分の精神修行の意味もあり、仕事の傍ら、ボクシングを始めていました。
(消防官としては、これは相当不器用な生き方だと思っています。)
やがてジムの会長からプロテスト受験を許されました。
しかし受験申し込み時に、自分はある決定的な理由からボクシングのプロテストを受験できない事実を知りました。
ここで、すでに目標を失ってしまったのです。
ボクシングを失ってしまい、何か目標になるものが欲しいと思っていた時、園田先生の現代空手道研究会を知り、先生の人格や理念、指導方針、そして会員の皆様の温かさにも触れ、入会してみようと決意しました。
●入会から10人組手に向けて
十人組手を本格的に意識するようになったのは、茶帯を許されてからです。
(実際、自分が一番スランプに陥った時期も、茶帯になってからです。黒帯を許して頂けた今も、実はスランプ気味です・・。)
特に先生から1級を許して頂けた時から、頭の中ではすでに黒帯への挑戦を意識していました。
しかし10人組手と言う未知の試練を思うと、1級合格から10人組手の半年間、心から笑えた時はありませんでした。
そのくらい、自分の心の中には10人組手への不安が、常にありました。
例えば10人組手1ヶ月前なら、「あと1ヵ月後に自分はどうなっているのだろう」と言う不安、審査当日なら、「あと数時間後には自分はどうなっているのだろう」と言う不安が頭から消えることはありませんでした。
ちなみに自分の10人組手へ向けてのトレーニングは、現代空手道研究会で先生から師事して頂いた空手技術の反復練習と以前から通っているボクシングジムでの練習、そしてスポーツジムでのウェイトトレーニングやロードワークなどが主でした。
(ボクシングは蹴りに対応していないので、相当苦労しました・・。今でも相当苦戦しています)
後は、精神面を鍛えるために、銭湯のサウナに、試しに手足が痺れて限界になるまで入ってみたりしました。(これは絶対止めた方がいいです。)
危うく同僚に救助されるところでした。
また、スタミナを付ける為に1時間連続シャドーや1時間連続サンドバッグ打ち。
そしてその後にロードワークなどもしたりしました。
10人組手はスタミナが勝負だと勝手に思い込んでいたので、スタミナ中心の練習になってしまっていたかなと思います。
ロードワークで汗を流し、サンドバッグに打撃を打ち込み、スパーリングで自分の弱さを痛感しながら10人組手への恐怖を振り払おうと、夏の太陽の下、栃木の地で必死にあがいていました。
今でも、瞼を閉じれば、あの10人組手の恐怖と練習の汗にまみれながら見上げた、真夏の澄んだ青い空に浮かぶ太陽の輝きが、瞳の奥に浮かんできます。
●そして10人組手
先生から会員専用ページで、ついに合宿の概要が発表され、場所は千葉県御宿町と言う最高の舞台を用意してくださった事実も知り、緊張感も高まりました。
この御宿町で自分はどんな結果を残せるのだろう。
ふと、そんな想いが頭によぎりました。
10人組手挑戦間近に、フルコンタクト系空手DVD等も見て研究もしましたが、結論から言わせて頂きますと、10人組手では、実際自分が今まで練習してきたこと以外のことは出せませんでした。
自分が普段から時間を割いて汗を流して身に着けたもの以外、組手では出なかったのです。
自分が前もって立てた戦術(10人組手をどう乗り切るか)らしきものはほとんど意味がなかったと言っても過言ではなかったと思います。
理屈ではわかっていたつもりでしたが、普段からのトレーニングが一番重要であり、それしかないのだなと痛感しました。
(結果として、フットワークで逃げ回り、合間を見てパンチ?らしきものを繰り出すだけと言う、ワンパターンなつまらない組手になってしまったと言う無念があります)
10人組手では、すでに2人目の最中で「まだあと8人もいるのか、果たして自分に完遂できるのだろうか」など、不安、焦り、恐怖、疲労、そして相手からのすさまじい圧力と攻撃の痛みに加え、会場の暑さなど、さまざまなマイナス要因が自分を襲っていました。
しかし10人組手を体験させて頂いて、今、言えることは、10人組手は、1人目、2人目もあれば「10人目も必ず来ます」。
10人組手にも『終わりが必ず来る』ということです。
それまで心が折れずに、耐えられるか、戦い続けられるかではないでしょうか。
10人組手は、ものすごく恐ろしい組手でした。
20分間という間でしたが、そこには黒帯の戦いがどういうものかということ、黒帯の選手の眼光、実力に圧力、そして恐さがありました。
今思うと、この、かけがえのない体験をさせて頂いた、園田先生、そして黒帯の先輩方へ本当に感謝の思いでいっぱいです。
そして自分の10人組手を支えてくれた道場生の皆様の応援の声が、今でも心に残っています。
まさか社会人になってから、これほどかけがえのない体験ができるとは思っていませんでした。
ボクシングは自分を受け入れてはくれませんでしたが、空手は今、ほんの少しだけですが自分を認めてくれたのかな、そんな気がします。
そして、10人組手から授かった勇気を原点に、職務においても、一人でも多くの住民の皆様に尽くして行けるよう精一杯努力して行きたいと思っています。
●最後に
園田先生、相手をして頂いた黒帯の皆様、応援してくれた皆様
そして普段共に練習をしてくださっている道場生の皆様へ。
10人組手、本当に恐かったです。
ありがとうございました。
そしてこれからも、ご迷惑をおかけしますが
ご指導のほど、どうかよろしくお願いします。
押忍。
HIsinuma
追記:今回の夏合宿で先生から審査当日「対戦相手は全員黒帯にします」と言うご発言を聞いた時、目の前が真っ暗になりました。
7月の練習の終わりに、先生が「今度の10人組手では、どんな波乱が起きるかわかりません」とおっしゃっていて、それにはこういう理由(裏)があったのかと大変ショックを受けました。
波乱を起こすのは道場生ではなく、先生だったのです・・・。
確かに、とんでもない波乱でした・・。