2013/08/27
イチローと大谷翔平は現代のプロ野球を代表する選手である。(敬語を略させていただきます)
イチローは大リーグで日米通算4000本安打を達成した歴史に残る選手。かたや大谷は160kを超える球速など高校野球で注目されたとは言えまだプロに入ったばかりの選手である。
大谷が恵まれた素質を持っている事は間違いないが、選手としてどこまで成長するかはこれからの本人の努力次第である。
今回、この二人を課題に選んだのはこの二人の動きの共通点が武道特に、空手において私が常日頃強調しているあるポイントに酷似しているからだ。
それは二人のバッティングホームにある。
先日雑誌で二人のバッティングホームの連続写真を見た。
二人に共通しているのは頭の位置が不動と言うことだ。
生で見ていても感ずるがこうして連続写真で見てみると余計それがわかる。
これは何を意味しているかと言うと、バッティングという回転運動の軸がまったくぶれていないということだ。
物理的に解析すると野球のバッティングと空手の回し蹴りは最終的な効果を生むための要素は若干異なるがそれは別の機会で。
野球の方で言うと、打球の初速を決定するのはバットの打点でのスピードだけである。
良く「力で持っていく」というような表現をされることがあるが、この表現は感覚的にはわかるが物理的には不正確である。
というより、間違った表現である。どんなに強大な力(トルク)でバットを振っても打点のスピードが遅ければ球は大して飛ばない。
これはピッチャーの投げる球にも言える。「重い球」は存在しない。
力で持っていったように感じさせるフォームや動き、あるいは「球を重く」感じさせる投球フォームや球筋(回転など)はあるかもしれないが、打球の行方を決定するのは打点の互いの角度と初速だけだ。(質量や反発係数は規定されているので)
打者は長打を出すためにはいかにスイングスピードを上げるかということに尽きる。
もちろんピッチャーは打たれないように球速やコースを変えてくるので、球を選んだり、球筋を読んでミートさせるという難しい大前提はあるが。
軸がぶれないということはこのスイングスピードを上げるには大変有効な要素となる。
軸がぶれるということは軸をぶれさすためのエネルギーが使われているというとであり、それはスイングスピードを上げるためにはほとんど有効にならない。
頭が動かないというのは軸のブレ以外にも体の中の筋肉をくスイングスピードの向上以外の目的で使っていないということになる。
それだけでなく、頭には目や耳という高度なセンサーがあり、これが振動を受けずに最高度の機能を発揮できる環境が提供されるということにもなる。
それから、軸をぶらさないということは軸をブラスための筋肉は使わないということでありそれはそうした筋肉は完全に脱力されているということを意味する。
この脱力が最も大切なことなのだ。
脱力ができているかいないかはまず必要のないときに頭が動いていなかどうかで大まかに知ることができる。
前蹴りの上手な空手家は中段でも上段でもほとんど頭を動かさず蹴りを出すことができる。
初心者は必ずと言って良いほど大きな上下動を伴う。
蹴りの威力(スピード)を増そうとすればするほど頭の上下動が大きくなり、使ったエネルギーの割りには威力は増さないというより低下しているケースのほうが多い。
一流選手の頭が動かないのは野球や空手だけではない。
競馬の騎手や流鏑馬(やぶさめ)の名手も疾走する馬上で頭は平行移動している。
モーグルやスノボの一流選手も頭はまったくぶれない。
あんなに変化に富んだ動きをしていてもだ。
頭を動かさないということは空手だけでなくあらゆる武道やスポーツにおける重要なテーマの一つと言える。
だが、これをどうやって実現するかというと話は簡単ではない。
空手で言うと、まず初心者は大人も子供も蹴りをやらせると派手に頭を上下動させる。
特に筋力のない子供はそれが顕著だ。
初心者は多少はしようがない。
というか、あまりにも頭の上下動を規制すると何もできなくなってしまうからだ。
筋力がなくて運動神経のある子は、ある目的を達成するため体中の筋肉を使ってそれを有機的に結び付ける方法をあみだして目的を果たそうとする。
こうした臨機応変の工夫は身体能力を上げるため、運動神経を鍛えるために有効だと思う。
ただ、それをいつまでも放置すると、それが自己流の悪い癖となり、筋力が向上してもその癖が残って進歩を妨げることにもなる。
若いやんちゃな中学生や高校生で中途半端な喧嘩術を自己流で磨いて悦に入っている馬鹿がいる。
相手が素人だとそこそこの効果はあるが、格闘の専門家から見れば素人と大差はない。
空手を教えるときは、いったんその我流の癖を解きほぐし運動神経をリセットするところからはじめなくては大きく成長しない。
すなおに従えば良いが、最近の個性の尊重ばかりで甘やかされた育った者は妙に抵抗する者もいる。
かえって運動の経験もない喧嘩の経験もない目立たない存在の子が最終的にとんでもないレベルまで強くなることも珍しくない。
空手やボクシング、スキーや体操でも、どちらかというと運動が苦手だった選手がチャンピオンになったりする例は多い。
それは、指導者に恵まれた場合、本質的な脱力やコツを素直に受け取って、余計な自己流のクセが無い分最短距離で上級者への道を歩む例が多いからだ。
勿論、子供の頃からすごい能力の持ち主でそのまま大人になっても突っ走れる天才もいるが、天才でなくても天才に近づいたりあるいは天才を超える人もいることは知っておいてほしい。
そういう意味で言えばイチローや大谷は天才だが、イチローに関しては、その出発点は今を予見させるほどでは無かったと思うし、大谷は現時点ではまだ優れた素材以上のものではない。
イチローは常に努力を積み重ねて今日の力を持つに至ったであろうし、大谷もそうした努力を積めばイチローに並ぶ、いや可能性としてはそれを超える一流選手になるかもしれない。
その努力の方向や方法論は天才でなくても通用すると思う。
「頭」は動かさないのではなく、本質的な努力を積み上げて技術が向上していけば自然と動かなくなるのだ。
ただ「頭」を動かさないという明確な目標があれば、努力の方向も見えてくるというわけだ。