一致した意見には価値は無い   論理学の話その2

東京造形大学 コンピュータ技術論 第7回講義

2009/05/28


 

今日の講義のビデオの撮影者は↑彼女。

 

今日の講義の内容は論理学その2。

先週は必要条件と十分条件について考察した。

 

論理和、論理積は皆先週理解できた思う。

まず、その復習。

 

 

さて、今日の重要項目は、排他的論理和とドモルガンの定理だ。

少し前にユダヤ人の考え方で満場一致を無効とする規則の話をした。

 

本当にこうした規則があるのかどうかは確かめていないが考え方とはしては大変に面白い。

要するに「全員の考えが一つの例外も無く一致するというのはおかしい」という冷静な判断がこの背景にあるからだ。

 

昔、ある挑戦的な企業で、入社試験の面接で試験官の意見が分かれた人しか採用しないところがあった。

AとBという二人の試験官がいたとする。

 

A、Bが共に不合格の判定は出した時、この受験者が不採用というところは一般の会社と同じである。

しかし、ABが共に合格の判定を出した時も不採用とするのだ。

 

ここは満場一致を却下するユダヤ的な発想と同じだ。

じゃ、どんなケースが採用となるのか。

 

「Aは合格、Bは不合格」あるいは「Aは不合格、Bは合格」、つまり両者の意見が一致しないケースのみ合格にするというのだ。

誰もが良しとするような考えは、優等生的であり、間違いはないかもしれないが大ヒットを飛ばしたり、ブームになるような商品を創造する力にはなりにくいという思想なのだ。

 

こういう評価の分かれるような人物にこそ本物が存在するという面白い考えだ。

このような概念を論理学あるいは集合論では「排他的論理和」という。

 

 

2階に上る階段の上と下の二つのスイッチで一つの照明をオン・オフする電気回路は、三路回路といってこの排他的論理和の基本的なシステムであるが今日の説明でその面白さが分かっただろうか。

 

排他的論理和の概念を理解することははコンピュータの演算の仕組みを理解したりプログラムのスキルを高めるためには絶対避けて通ることのできない考え方であり、最重要項目の一つである。

 

 

ドモルガンの定理も、集合論を理解しているかどうか計る良いバロメータになる。

複数の条件を否定するとき、一般人が陥りやすいロジックの落とし穴がある。

 

例えば、

「聡明で可愛い」の否定は「ドンくさい上可愛くない」という論理が一般社会では良く見られる。(聡明でないをドンくさいとすると)

これは数学というか論理学、集合論では間違いである。

 

正しくは、「聡明でないかあるいは可愛くない」が正しい。

もう少し砕いて言うと「ドンくさいか可愛くない」のどちらかとなる。

要するに「ドンくさいけど可愛い」と「聡明だけど可愛くない」という片方だけを満たした命題は、「聡明で可愛い」の否定を満たしているわけだ。(結構多数)

 

 

国会討論なんかで、相手をやっつけようと思って、失政だけでなく、スキャンダルやワイロの話をこれでもかと積み上げて追求するケースはよく見られる。

「A 、B、C 、 ・・・・」というようにいっぱい条件をならべてそれを「アンド」で結ぶような論理の展開は論理学的にはあまり有利な論法ではない。

 

 

一つでも否定できる材料が見つかれば、最初の主張に対して「ノー」と言えるのだから。