原子爆弾の作り方   情報の話その2

東京造形大学 コンピュータ技術論 第5回講義

2009/05/14


 

今日の講義のビデオの撮影者は↑彼女。

 

今日の講義の内容は前回に引き続き情報論。

情報の定義は前回の講義で解説したが、今日はより具他的な例をあげて説明した。

 

確率と密接な関係があること。

そして計算は2進法と大きな関係があることを理解することが大切である。

 

人間の社会をシステムとして構成している要素は次の3つである事はすでに話した。

1.物質

2.エネルギー

3.情報

 

 

そして現在最も社会システムの重要な要素を担っているのがこの中の情報である。

人類は長い間「情報過疎」の状況にさらされてきた。

 

もちろん、「過疎」は情報に限ったことではない。

物質もエネルギーも情報も全て「不足」しているという状態が社会の大前提であり、

あらゆる、規則や情報や道徳や倫理は「不足」という大前提で作られている。

 

食べ物やエネルギーが不足しているから、犯罪も起こる、戦争も起こる。

あらゆる技術や産業はこうした不足を解消するために進歩してきた。

 

情報も同じである。

情報の欠落すなわち知識の不足があらゆる犯罪の源という考えは現在も多くの人々に潜在意識に根付いている。

「犯罪の源は無知である」という考えだ。

 

これを根本から覆す歴史的な事実「ぐうぜん作られた実験的な環境」の話をした。

たしかに情報の欠落は個人としての人間、あるいはその集合体である社会にとって様々問題の大きな原因の一つではあるだろうが、実はこれが決定的なものではないという認識もまた重要である。

 

現在は、物質もエネルギーも情報も、ある局面においては「不足」から「過剰」に状況がシフトしている。

これはかつて人類が経験したことのない環境である。

 

物の氾濫やゴミの問題に関しても同じである。

特にインターネットからあふれ出る過剰な情報の洪水は、もはや個人で制御できる量をはるかに凌駕している。

過剰な情報は過疎な情報と同じ状況を作るのだ。

 

 

アメリカで原子爆弾の作り方をネットで得て、それを実行しようとした高校生がいた。

今は調べようと思えばたいていのことはネットで探すことができる。

 

一方こうしたネット上の情報はどこかにあってもそこにたどり着けるかどうかは別問題だ。

そして首尾よくたどりつけたとしてもそれが正しい情報かどうかはわからない。

 

その情報の信憑性をたしかめるためにまた新たな情報をみつけなくてはいけない。

グーグルやヤフーなどの情報検索のためのサイトはいまや百科事典の役目をになっているが、あまりのクズデータの多さに、すでに我々はかつての情報過疎と結果的には同じ状況においやられているのかもしれない。

 

そしてこれから、もっともっと劇的に増大し続けるであろう人類が発生させる情報量に我々はどう対応すべきか。

これが人類が現在問われている最も根源的な課題の一つであることは間違いない。